親族内承継を選択する場合でも、能力主義の原則を貫くことが重要だ。後継者は血縁だからではなく、経営者としての資質があるから選ばれるべきであり、それを親族全員が理解し、納得する必要がある。
また、株式の集中も考慮すべきだ。経営に関与しない親族に株式が分散すると、将来的に経営の自由度が失われる。信託や持株会社の活用など、専門家の助言を得ながら、適切な株式保有構造を設計することが求められる。
「取引先は変わらずついてくる」という外部関係の軽視

六つ目の盲点は、社外のステークホルダーとの関係性である。長年にわたって現経営者が築いてきた取引先や金融機関との信頼関係は、実は極めて属人的なものであることが多い。
典型的なのは、銀行との関係だ。現経営者の個人的な信用によって融資が実行されてきた場合、後継者に代わった途端、融資姿勢が厳しくなることがある。特に、後継者がまだ若く、経営実績がない場合、金融機関は慎重にならざるを得ない。結果、必要な運転資金が調達できず、経営が行き詰まるケースも出てくる。
取引先との関係も同様だ。現経営者の人脈で成立していた取引は、後継者に代わることで見直される可能性がある。特に、競合他社が営業攻勢をかけてくれば、「新しい社長では不安」という理由で取引を変更されることもある。
さらに、重要な顧客情報や取引の詳細が、現経営者の頭の中にしかない場合だ。承継後に「あの取引はどういう経緯だったのか」「あの顧客にはどう対応すべきか」といった疑問が次々と生じるが、現経営者がすでに一線を退いていれば、対応に苦慮することになる。
また、同業者との関係や業界団体での立場も、承継によって変化する。現経営者が業界の重鎮として影響力を持っていた場合、その地位は自動的には引き継がれない。後継者は一から信頼を築き直す必要があり、そのプロセスで情報収集力や交渉力が一時的に低下することもある。
承継プロセスの早い段階から、後継者を外部に露出させ、関係構築の機会を作ることだ。取引先への挨拶回り、業界団体への参加、金融機関との定期的な面談など、現経営者と一緒に行動することで、後継者の存在を印象づけ、信頼の橋渡しをする。
また、重要な取引や顧客に関する情報は、必ず文書化しておく必要がある。口頭での引き継ぎだけでは不十分だ。取引の経緯、顧客の特性、注意すべき点などを記録し、後継者がいつでも参照できるようにしておくことが、スムーズな承継につながる。
「株式と経営権の整理」という法務面の見落とし
七つ目の、そして最も技術的に複雑な問題が、法務・財務面の整備である。多くの経営者は、事業承継を「経営の引き継ぎ」としてしか捉えていないが、実際には法的な権利関係の移転という側面が極めて重要だ。
最も基本的なのは株式の承継だが、これが想像以上に複雑な問題を引き起こす。現経営者が株式の大半を保有している場合、その相続や贈与には多額の税金が発生する。事業承継税制を活用すれば税負担を軽減できるが、要件が厳しく、専門家の助言なしには適切に活用できない。
さらに、株式が親族間で分散している場合、意思決定が困難になる。特に、経営に関与していない親族が株式を保有していると、重要な決議で反対票を投じられるリスクがある。最悪の場合、経営方針をめぐって親族間で対立が生じ、訴訟に発展することもある。
個人保証の問題も見過ごせない。中小企業の多くは、現経営者が会社の借入金に対して個人保証を提供している。承継時にこの保証をどう引き継ぐか、あるいは解除できるかが大きな課題となる。後継者に引き継げば、その個人資産がリスクにさらされる。かといって保証を外せなければ、現経営者はいつまでも会社のリスクを負い続けることになる。
事業用資産の名義も重要だ。工場や店舗の不動産が現経営者の個人名義になっている場合、その承継には相続税や贈与税がかかる。また、賃貸借契約や設備のリース契約なども、名義変更の手続きが必要となる。これらを適切に処理しないと、承継後に思わぬトラブルが生じる。
法務・財務面の整備は、承継の5年以上前から着手すべきである。税理士、弁護士、事業承継の専門家などと連携し、総合的な承継計画を立てる必要がある。特に、事業承継税制の活用、株式の集約、個人保証の見直しなどは、計画的に進めなければならない。
また、定款の見直しも重要だ。後継者が安定的に経営できるよう、株式の譲渡制限や、少数株主の権利を適切に設計する必要がある。さらに、万一に備えた事業継続計画(BCP)の中に、緊急時の経営権の移転についても規定しておくことが望ましい。
まとめ|承継は「終わり」ではなく「始まり」である
ここまで、後継者問題で陥りがちな事象と要注意ポイントを見てきた。これらに共通するのは、事業承継を「一時点のイベント」として見る誤りである。承継とは、数年にわたるプロセスであり、しかもそれは「終わり」ではなく、新しい経営の「始まり」なのだ。
現経営者にとって、自らが築いた事業を手放すことは、人生の一大決断である。だからこそ、感情的になりやすく、客観的な判断が難しくなる。だが、企業を次世代に引き継ぐことは、経営者としての最後の、そして最も重要な仕事である。
後継者にとっても、承継は大きな試練であり、前任者の築いた基盤を引き継ぎながら、自らの色を出していく。伝統を守りつつ、革新を起こす。この難しいバランスを取りながら、企業を成長させていかねばならない。
だが、これらの困難を乗り越えた先には、大きな可能性が広がっている。世代交代は、企業に新しいエネルギーをもたらし、組織を活性化させる機会でもある。適切に準備され、丁寧に実行された承継は、企業を次のステージへと押し上げる推進力となる。
事業承継に「完璧な正解」はない。それぞれの企業に、それぞれの事情があり、それぞれの最適解がある。だが、先人たちが経験してきた教訓に学び、起こりうる問題を予見し、適切に準備することで、承継の成功確率は大きく高まる。本コラムが、そのための一助となれば幸いである。
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