インバウンド偏重という危うさ─国内観光の軽視
2010年代後半から、日本の観光施策は明確にインバウンド(訪日外国人観光客)に傾斜してきた。政府は「2030年に訪日客6000万人」という野心的な目標を掲げ、ビザ緩和、免税制度の拡充、多言語対応の推進など、様々な施策を展開した。
確かに、インバウンドは重要な収益源である。訪日客は国内旅行者と比べて一人あたりの消費額が大きく、地域経済への波及効果も大きい。しかし、あまりにもインバウンドに偏重した結果、国内観光が軽視されてきたのではないか。
日本人の国内旅行回数は、実は長期的に減少傾向にある。若年層の旅行離れ、可処分所得の減少、ライフスタイルの変化など、様々な要因が指摘されているが、観光施策がこの問題に真剣に向き合ってきたとは言い難い。国内旅行者向けのキャンペーンは散発的に実施されるものの、インバウンド施策と比べると予算規模も施策の継続性も見劣りする。
さらに問題なのが、インバウンド対応を進めた結果、日本人観光客にとって居心地の悪い観光地が増えていることである。京都の有名寺院は外国人観光客で溢れ、日本人はゆっくりと拝観できない。飲食店は外国人向けのメニューばかりで、地元の人が行きたくなる店が減っている。ホテルは外国人観光客向けに価格を設定するため、日本人にとっては高すぎる。
コロナ禍で国際観光が停止した際、多くの観光地が深刻な打撃を受けた。これは、インバウンド依存のリスクを露呈した出来事だった。しかし、その教訓は十分に活かされているだろうか。国際情勢の変化、為替の変動、感染症のパンデミック──外的要因によって大きく左右されるインバウンドに過度に依存することの危うさを、私たちは認識すべきである。
地域住民不在の観光開発─誰のための観光なのか
観光施策のもう一つの大きな問題は、地域住民の視点が欠落していることである。観光開発は本来、地域の魅力を高め、住民の生活を豊かにし、地域経済を活性化させるために行われるべきものだ。しかし実際には、観光客を呼び込むことだけが目的化し、住民の暮らしや意向が置き去りにされるケースが後を絶たない。
典型的なのが「オーバーツーリズム」の問題である。京都、鎌倉、箱根など、人気観光地では観光客の増加によって住民生活に支障が出ている。道路は渋滞し、バスには乗れず、騒音やゴミの問題も深刻化している。民泊の急増で住宅地の静穏が失われ、地域コミュニティが破壊されているケースもある。
行政は「観光振興」の名のもとに、さらなる観光客誘致を進める。しかし、その恩恵を受けるのは一部の観光事業者だけで、多くの住民にとっては迷惑でしかない。観光収入が地域全体に還元される仕組みも不十分だ。こうして、「観光地化」に対する住民の反発が強まり、地域社会に分断が生じる。
また、大型観光施設の建設によって自然環境や景観が破壊されるケースも多い。「経済効果」という名目で、山を削り、海岸を埋め立て、巨大なリゾート施設を建設する。しかし、その地域の本当の魅力は、実は自然そのものだったりする。開発によって魅力が失われれば、長期的には観光地としての価値も低下する。目先の経済効果を追求するあまり、持続可能性が犠牲にされているのだ。
観光は本来、地域の文化や自然、人々の暮らしの魅力を外部の人に伝え、交流を生み出すものである。しかし、観光客を増やすことだけが目的化すると、地域は「消費される対象」に成り下がる。住民不在の観光開発は、結局のところ長続きしない。真に持続可能な観光とは、地域住民が誇りを持ち、観光客が敬意を持って訪れる、そんな関係性の上に成り立つものである。
本質を見失った「施策ありき」の思考停止
ワーケーションに限らず、日本の観光施策には「施策ありき」の発想が蔓延している。国や上位機関が打ち出した方針を、地方自治体が無批判に追随する。その地域に本当に必要なのか、実現可能性はあるのか、という検証を経ずに、とりあえず予算を確保して事業を立ち上げる。
この背景には、補助金制度の構造的な問題がある。国が特定分野の補助金メニューを用意すると、自治体はそれに飛びつく。なぜなら、「国から予算を引っ張ってくる」ことが評価されるからだ。補助金を獲得すること自体が目的化し、その事業が地域にとって本当に必要かどうかは二の次になる。
さらに深刻なのは、現場の声が届かないことである。実際に観光客と接し、地域の魅力を伝え、事業を営んでいる観光事業者や住民の意見が、施策の立案過程で十分に反映されない。トップダウンで決められた施策を、現場が「やらされる」という構図が繰り返される。
観光施策に本当に必要なのは、華やかなキャッチフレーズや目新しいコンセプトではない。地域の実情を深く理解し、課題を正確に把握し、実現可能な解決策を地道に積み重ねていくことである。派手さはないかもしれないが、そうした地に足のついた取り組みこそが、持続可能な観光につながる。
おわりに─「ワーケーションの教訓」から学ぶべきこと
ワーケーションという言葉は、確かに消えた。しかし、この現象から学ぶべき教訓は多い。流行に飛びつき、深く考えずに多額の税金を投じ、効果検証を怠り、失敗から学ばない──こうした姿勢を続ける限り、第二、第三の「無駄な事業」が生まれ続けるだろう。
観光は日本の重要な産業であり、地域の活力源でもある。だからこそ、もっと真剣に、もっと賢く、もっと持続可能な形で育てていかなければならない。そのためには、私たち一人ひとりが、観光施策に対してもっと関心を持ち、批判的な目を向け、建設的な議論を重ねていく必要がある。
税金の使い道は、私たちの社会のあり方を映し出す鏡である。無駄な支出を許容することは、結局のところ、私たち自身の未来を削ることに他ならない。観光施策の改革は、単に観光業界の問題ではなく、日本社会全体の課題なのである。
ワーケーションは消えた。しかし、その背後にある構造的な問題は依然として残っている。今こそ、本質的な議論を始める時である。
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