エンジニアがもっと輝く世界を作りたい! ソコラボ株式会社・奈良 晃寛の挑戦

今回の「にっぽん全国”シゴトのある風景”」では、静岡県浜松市を拠点とする、ソコラボ株式会社代表取締役・奈良晃寛(ならあきひろ)さんにインタビューを行いました。奈良さんは2024年に個人のエンジニアと企業を繋ぐプラットフォームの構築を目指す「ソコラボ株式会社」を立ち上げたばかり。「Maker Faire(メイカーフェア)」(※注:エンジニアや技術愛好家などが、さまざまなテクノロジーを駆使してモノを作り出すDIYの展示発表会)からインスピレーションを得て、会社設立に至った経緯や、影響を受けた人物、独立への想いについてお話を伺いました。

奈良 晃寛(なら あきひろ)さん

◾️プロフィール
山梨県出身、都留高等学校卒業。2007年名古屋大学工学部機械航空工学科卒業後、名古屋大学工学研究科マイクロナノ工学専攻に進み2009年卒業。同年ヤマハ株式会社に入社し、ヤマハファインテック株式会社へ出向。超音波検査機をゼロから開発し、事業化した功績を持つ。2024年に独立し、ソコラボ株式会社代表取締役CEOに就任。

「ソコラボ」https://www.soco-lab.com/
「ソコラボ」Instagram https://www.instagram.com/soco_lab2024/   
にっぽん全国”シゴトのある風景”

独立のきっかけは“アイディアの実現”


―――最初はヤマハにいらっしゃったんですね。

僕はもともと「超ピンポイントスピーカー」や「傘ドローン」など、色々作りたい、アイディアを実現したいと思っていたのですが、どうしたらそういう事ができるかと考えた時に、大企業のアセットを使ったら実現できるなと思いまして。ヤマハ株式会社にエンジニアとして入社しました。

―――15年勤めた会社を辞めて、起業に至るきっかけはなんだったのでしょうか?

色々な発明ができると思って入った企業だったのですが、やはり大企業のエンジニアに求められるのは、アイディアの実現と言うよりは、仕様書通りモノを作る正確性。エンジニアと言う立場で、自分のアイディアを通していくということが難しいということがわかりました。
そこで、エンジニアとして物を作りながら、営業やビジネスサイドのキャリアの勉強もして、何とか自分のアイディア(※超音波検査機等の開発)を実現していきました。でも、最初に思い描いていた色々なアイディアや、他のエンジニアの技術が世に出る前に会社の中で消えていってしまうのが勿体ないなと思ったんです。エンジニアが持っているアイディアをもっと早い段階で世に出して、新しいものがどんどん生まれていく状態を作りたいと思い、起業に至りました。

にっぽん全国”シゴトのある風景” 奈良晃寛さんインタビュー

―――仕事内容について教えてください。

今、メタバースを起点とした展示と資金調達プラットフォームを開発しています。
まず、個人のメイカー(個人エンジニア)作品ひとつひとつにトークンを付与して、オリジナル作品であるということを証明します。その上で「次に5万円くらいかけてこういう物を作りたい」というメイカーへの応援チケットを発行して資金調達を行い、企業とのマッチングも行なっていく予定です。ただ、それだけだと応援チケットを買ってくれた人にあまりメリットがないので、例えばコロコロ転がるロボットを商品化した場合、商品化のアイディアを求めている会社に対して僕らが主催するリアルな展示イベントに企業の方を呼んで、一定の価格で買いませんか?と言ったとします。そこで、発行した応援チケットを企業が全部買い取れば商品化も自由にできる権利がもらえる。そうすると、最初5万円で応援していたロボットが全体で100万円で売れていったら、チケットを購入した人が50万円手にすることができるという仕組みを構築している最中です。金商法の2種免許取得を視野にサービスローンチに向けて動いています。


「メイカーフェア」の個人エンジニア達に刺激を受ける


「ソコラボ株式会社」は、2024年6月、東京・原宿で現役筑波大生テクノロジーアーティスト・ました。さんの発明作品にフォーカスを当てた展示会「ソコラボフェア」Vol.1を開催。同年8月には、メイカー7組による「ソコラボフェア」Vol.2を、名古屋の歴史的建造物「文化のみち橦木館」にて開催し、好評を博しました。筆者もVol.2を観に行きましたが、メイカー達の自由な発想によって作り出された発明品の数々に、笑いと驚きが止まらず刺激的な展覧会でした。

にっぽん全国”シゴトのある風景”

―――どのように「ソコラボフェア」開催に至ったのでしょうか?

起業の準備中に東京開催の「メイカーフェア」に行った時、個人で活動しているエンジニアたちが勝手に物を作っている姿が輝いていて、おもしろいと思ったんです。これだけすごく楽しんでもの作りをしている人達がいるんだと、衝撃を受けましたね。メイカーのイベントは、アイディアを世に出すためのすごく良い仕組みだと思いました。


メタバースイベントへの挑戦


―――2024年12月6日にメタバースのイベントも開催していましたね。

そうですね。メタバースでも同じように展示会イベントをやったら面白いんじゃないかと思ってトライアルで開催しました。ぶっちゃけちょっと失敗でした(笑)。メタバースは全然人が集まらなかったし、作品の展示もリアルで見る面白さがメタバース上では伝えることができなくて。

―――事業を立ち上げるにあたって苦労したことはありますか?

最初「グロービス」(ビジネスリーダーの育成を目的とした企業)というところで仲間を募って始めたのですが、ビジネスコンテストにプレゼンがなかなか通らない時期があって。全然箸にも棒にも掛からないみたいな。「グロービス」のアクセラレーションプログラム(ベンチャー企業などを対象に短期間で事業を成長させるためのプログラム)には採択してもらって、ちゃんとやってる方だったのですが。やっぱり世の中全然通じないな。どこもお金も出してくれないし、と「グロービス」を卒業して、メンバーとどうしようかと話していた時、僕自身は会社を辞めるつもりだったし、やるしかないと。選択権をもらって、ピッチデッキ(スタートアップ企業がビジネスプランを説明するためのスライド資料)を組み始めたら少しずつ採択頂けるようになってきて、そこから少し良くなってきました。

―――その時はどのようにモチベーションを維持されていましたか?

自分の中では会社名も決めてるし、個人のアイディアを解放していくんだという世界観も決まっていて、もう絶対やるって決めてましたね。

―――選択肢は「やる」の一択しかないということですね。

その世界観に辿りつくための方法はいくつかあって、ビジネスコンクールに落ちても別に事業としてはやれなくはないので、コンクールに応募せずにもっと事業に専念するという選択肢もありました。でも僕らはコンクールに受かりたいということで、もっと自分のやりたいことにフォーカスしました。

―――仕事をする上で大切にしていることを教えてください。

僕は結構夢見がちというか、悪い言い方すると地に足ついてないって言われがちなのですが、でも僕の価値はそこにあると思っていて。歯を食いしばって夢を見続けたことに価値がある。ヤマハにいた時は超音波検査機が実現して、その後も大きくなっていくはずだってずっと言い続けていました。時間はかかっちゃいましたけど、最初の軌道に乗り始めるところまでは持っていけたので。今後事業を進めていくにあたっても、そこは大事だと思っています。

―――情熱ですね!

はい、本当にそうです。

―――影響を受けた方には、どのような方がいらっしゃいますか?

色々な人に影響を受けていますね。起業家の先輩とか。元々ヤマハでも新規事業をやりたいと手を挙げて色々動いたりしていたので、その時に出会った浜松で事業をされている方からも影響を受けています。「グロービス」でも実際に会社を上場までさせている方とお話して、自分も仲間に入りたいなと思っていました。

あと、伝記を読むのが好きです。イーロン・マスクやスティーブ・ジョブズ、アインシュタインも面白かったですね。あとは日本経済新聞の「私の履歴書」という連載でソニーの盛田昭夫さんとホンダの本田宗一郎さんの回にはかなり影響受けました。

あとは、自営業をしていた両親の影響もあるかもしれません。両親が家で仕事をする姿を常に見てきたので、自分の独立願望はそこから来ていると思います。

―――ご両親はなんのお仕事をされていたんですか?

服を仕立てる仕事していました。ファッションショー用の服など、デザイナーが手掛けたデザインを最初に試作するような仕事です。

―――なかなか珍しい職業ですね。

珍しいと思います。面白かったですよ。東京から山梨に依頼が来るのですが、記事と型がダンボールで送られてきて、当時だとFAXのやり取りが中心だったので、細かな指示はFAX。出来上がった服は佐川急便で納品していましたね。

―――ご両親の姿を見ていて、子供の頃に何になりたかったのですか?

正直なところ、自営業の両親が大変そうすぎて、収入も安定しないし自分は安定したサラリーマンになるんだと思っていました。特にユニクロが伸び出した頃に、服が全部中国製になり、その煽りを受けて取引先もバタバタ潰れていき、かなり苦しい時期がありました。高卒で働かなきゃいけない可能性もありました。大学に行かせる余裕はないと。奨学金をもらって大学には行けましたが、不安定な仕事は嫌だと思って、会社に入りましたけど、新規事業を始めたり、自分のアイディアを実現できる何かを運営したいと思って、結局独立しました。血は争えませんね。

―――では、今が一番楽しいですか?

そうですね。楽しいです。色々な人から「この後やばいよ、この後しんどい時がいっぱい来るよ」って言われているのでそこはちょっと怖いですけど。

―――会社の今後の目標はなんですか?

会社の中にある個人のアイディアを一旦外に出して、混ぜて、それを育てて、また会社に返していく。そんな循環を生みたいですね。3年後の10億円の売上を目指して、まずは資金調達とプロダクトの開発・リリースを行います。

にっぽん全国”シゴトのある風景”奈良晃寛さんインタビュー

―――これから転職や独立、起業を始めたいと考えている方にメッセージをお願いします。

動くなら早い方がいいとは思いますが、とは言え何歳になっても大丈夫だと思っています。自分の心をめちゃめちゃ支えてくれているのが、スズキの鈴木修さんの考え方です。鈴木さんは、自分の年齢に0.7を掛けた年齢の若さだと言うつもりで、色々な意思決定をしているそうなんです。70歳の時、70×0.7で49歳のつもりで決定をしていると。ゼロからのインド進出を、70歳になってから意思決定するのはすごいなと思って、僕は今40歳なので、0.7掛けて28歳だと思って意思決定しています。だから会社辞めてここからやるぞ!というのも全然遅くはないし、その考え方を大事にしています。

―――ありがとうございました!

今回はリモートでのインタビューでしたが、画面越しからも奈良さんの成し遂げたいことへの情熱がひしひしと伝わってきました。年齢×0.7すれば何か始めるのに遅いことはない、という非常に勇気が貰えるお話を聞くことができました。
2025年3月末、「ソコラボ株式会社」による個人のものづくりアイデアと企業の新規事業・CVC担当者とのマッチングイベントを開催予定だそうです。詳細が決まり次第、ソコラボWEBサイトにてお知らせいたします!とのこと。乞うご期待!

「ソコラボ」https://www.soco-lab.com/

ライター紹介

フクザワマキコ
動物と美味しいものとお酒をこよなく愛すライター。編集プロダクション、某コーヒーチェーン店のストアマネージャーを経てフリーランスに。Yahooニュース記事をはじめ、地域ニュース、キャッチコピー、プレスリリース記事、コラムのライティング等、様々なフィールドで執筆活動を展開中。



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