北海道十勝地方の池田町で、ハンドメイド作家として活動する中野昌代さん。もともとは介護福祉士として働いていましたが、出産後に体調を崩したことをきっかけに、ものづくりの道へ進みました。
光を通して美しい虹色を生み出すサンキャッチャーに魅了され、2017年に開業。現在は全国に生徒を持ち、ワークショップ講師としても活躍しています。
ものづくりの楽しさを広めるだけでなく、「作る・伝える・つなぐ」をテーマに、人と人を結びつける場づくりにも取り組む中野さん。その活動の背景やハンドメイドの魅力について伺いました。
中野 昌代さん
■プロフィール
北海道本別町出身のハンドメイド作家・ワークショップ講師。2017年に個人事業主として開業し、セルフブランド「MIOSUN」を立ち上げ、池田町を拠点に全国へ活動を広げる。
講師として現在までに100名以上の生徒にハンドメイドの魅力を伝えながら、ものづくりを通じたコミュニティづくりにも力を注ぐ。

ものづくりに関わる前のキャリアは介護職
―ハンドメイドの仕事を始める前は、介護の仕事をされていたんですよね。
はい。ハンドメイド作家になる前は、沖縄の名護市が委託する地域支援事業で介護士として働いていました。もともとは、地元の北海道・本別町の介護老人保健施設でお年寄りのお世話をしていましたが、結婚を機に、同じ職場で介護士をしていた夫とともに、沖縄へ移住した経緯があります。
―もともと介護のお仕事が好きだったんですか?
はい、大好きでした。自分にとって天職だと感じていたほどです。
介護の道を志したきっかけは、小学六年生のときの慰問活動でした。地元の特別養護老人ホームを訪れ、ダンスや歌を披露したのですが、そのとき、認知症のおばあちゃんが、私を孫と勘違いして「来てくれてありがとう」と、涙を流して喜んでくれたんです。
何かに一生懸命取り組むことで、人の役に立てる、誰かの笑顔につながる——そんな実感を得た特別な体験でした。それ以来、誰かに寄り添う仕事をしたいと強く思うようになり、介護士を目指すようになりました。
サンキャッチャーとの出会いが開いた、ものづくりの世界への扉

―サンキャッチャーとは、どのような作品なんですか?
サンキャッチャーは、太陽の光を虹色の輝きに変えるインテリアアクセサリーです。
虹を見ると、誰もが「ラッキー!」と感じて、幸せな気持ちになりますよね。私は、虹色には心を豊かにする「特別な力」があると思っています。サンキャッチャーは、その虹の力をお部屋の中に取り入れ、癒しの空間を作ってくれるアイテムなんです。
―中野さんとサンキャッチャーの出会いを教えてください。
沖縄に移住して一年くらい経った頃、お姑さんがプレゼントとして、手作りのサンキャッチャーを贈ってくれたんです。暖かい太陽の光を取り込んだサンキャッチャーが虹色の光を生み出し、広がって……その光景がすごくきれいで「こんな素敵なものがこの世界にあるんだ」と、感動したのを覚えています。
―プレゼントされてからすぐに、ご自身でも作ってみようと思いましたか?
いや、まったく思いませんでしたね。その頃は沖縄県の委託で介護福祉士の技術講師をしながら、常勤の介護士としても忙しく働いていたので。正直、ものづくりには興味がなくて、欲しいものはお金を出して買うものだと思っていました。
―そんな状況にあった中野さんが、どうしてサンキャッチャーを作るようになったのでしょうか?
夫の仕事の関係で沖縄から北海道の池田町に戻ってきて、妊娠・出産を経験しました。その後、また介護の仕事に戻ろうと考えていたのですが、突然体調を崩してしまって。まったく体が動かなくなって、寝たきりに近い状態になってしまったんです。
そんなとき、お姑さんが「サンキャッチャーを作ってみない?」と声をかけてくれたのが、ものづくりを始めるきっかけですね。
―実際に作ってみて、どうでしたか?
すごく楽しかったですね。それまで手を動かして何かを作ることなんてなかったので新鮮でしたし、作品を友人にプレゼントしたらすごく喜んでくれて。それがまた嬉しい経験でした。
手探りで始めたハンドメイド作家の道

―ハンドメイド作家として開業することになったきっかけは何だったのですか?
サンキャッチャーをプレゼントした友人が「せっかくだから開業届を出してみたら?」と提案してくれたのがきっかけです。
ちょうど介護の仕事ができなくなり、経済的にも不安を感じていた時期でした。でも自営業なら保育園で子どもを預かってもらえて、自宅で仕事に専念できる時間も持てる。ぜひやってみようと思い、開業することを決めました。
―ブランド名「MIOSUN(ミオサン)」の由来を教えてください。
『ミオ』は娘の名前、『サン』は太陽の『Sun』を意味しています。
なぜ娘の名前と太陽を組み合わせたのかというと、北海道で子どもを授かったとき、沖縄で親しくなったおばー(沖縄の方言でおばあちゃん)に報告をしたんですね。そのとき、私は「娘が生まれてから、愛おしさで胸がいっぱいになって、彼女の笑顔を見るたびに心が温かくなる」と、話しました。
すると、おばーが「みおは、あなたのてぃーだぬふぁーねー」と言ってくれたんです。これは沖縄の方言で「みおは太陽の子だね」という意味。その言葉を聞いたとき「本当にそうだな」と心から思えて、自然と「MIOSUN」という名前が浮かびました。
「教えることは、共に学ぶこと」—ハンドメイド講師としての挑戦

―ハンドメイド作家として、ある程度経験を重ねてから講師業を始めたのでしょうか?
いえ。作家活動と講師業は同時にスタートしましたね。簡単に教えられるテーマを用意して。開業して初めてのイベントに参加したときには、作品販売とワークショップを同時に行っていました。
―事業立ち上げ直後から積極的に活動されていたのですね。先ほど介護業界にいたときも、実技の講師をされていたとおっしゃっていましたが、人にものを教えるのが昔から好きだったのですか?
はい、得意ですね。小さい頃から、遊びの延長で自然と教える立場になることが多かったです。姉弟やいとこの中で一番上だったので、面倒を見るのが得意だったんですよね。
ワークショップの参加者は、みんな能力も年齢も違うわけですよね。そういう人たちをゴールへと導くことが、自然とできていた気がします。
―講師として人に教える中で、ご自身が学ぶこともありますか?
はい、毎回深い学びがありますね。
たとえ同じワークショップでも、参加者の年齢層や経験の違いに合わせて、進め方を調整する必要があります。「どうすれば工程がスムーズに進むか」「参加者全員が無理なくゴールできるか」と毎回、考えながら実践しています。
ワークショップのたびに「次はこうしたほうがいいな」と改善を重ねているので、常に成長し続けている感覚がありますね。
―受講生とのコミュニケーションで、大切にしていることはありますか?
「いいところをたくさん伝えてあげる」 ことですね。「私は不器用だから……」と落ち込んでしまう方もいるんですが、必ず良い部分はあります。それを見つけて、たくさん褒めるように心掛けています。
たとえうまくできなかったとしても、「よく頑張ったね!」と最後までやり遂げたことをしっかり認める。生徒さん一人ひとりの気持ちに寄り添うことを大切にしています。
―事前のアンケートでは「待つことを大事にしている」と答えられていましたね。
人にはそれぞれのペースがあるので、一を教えたらすぐにできる人もいれば、十の説明を聞いてやっと一つ理解できる人もいます。どれだけ時間がかかっても、とことん付き合いますね。
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