高度経済成長期「働くことの意味」からわかること

高度経済成長期「働くことの意味」からわかることとは

日本の高度経済成長期、1955年から1973年にかけての約20年間は、日本経済が驚異的な成長を遂げた時代である。この時期の日本人の働き方は、現代の我々から見れば信じがたいほどの激しさと献身、そして独特の労働文化を持っていた。ここでは、この時代の勤労者たちの姿を、逸話や興味深いエピソード、そして彼らの思いなども交えながら伝え、現代を生きる私たちに仕事とはどうあるべきかを考えるきっかけとなれば幸いである。


「モーレツ社員」の誕生

高度経済成長期の象徴的存在として、「モーレツ社員」という言葉がある。これは、仕事に命を懸ける熱狂的な社員を指す言葉だ。彼らは早朝から深夜まで働き、休日返上で仕事に打ち込んだ。

「朝7時に出社し、夜11時まで働くのが当たり前でした。土日も休まず会社に来ていましたね。家族と過ごす時間なんてほとんどありませんでした。でも、不思議と苦しいとは思わなかった。日本の発展のために頑張っているんだという誇りがあったんです。」

この「モーレツ社員」たちの存在が、日本の急速な経済成長を支えたと言っても過言ではないだろう。彼らの献身的な働きぶりは、海外からも驚きの目で見られていた。アメリカのビジネス誌は、「日本人は働きすぎる。彼らは人間というより機械だ」と評したほどである。

事業所数の推移(昭和47年〜平成13年資料)

グラフ-事業所数の推移(昭和47年~平成13年)
従業員数の推移(昭和47年〜平成13年資料)グラフ-従業者数の推移(昭和47年~平成13年)
出典:総務省統計局ホームページ

 

「社畜」文化の始まり

高度経済成長期に形成された労働文化は、後に「社畜」という言葉を生み出すことになる。「社畜」とは、会社に飼い慣らされた家畜のように働く社員を指す蔑称だ。この言葉自体は1990年代に生まれたものだが、その源流は高度経済成長期にあると言える。

当時の多くの企業では、従業員の私生活よりも会社への忠誠心が重視された。「結婚式の日でさえ、上司から『午前中だけでも出社してくれ』と言われたものです。断れば出世に響くかもしれない。そんな空気がありました。」

この「会社第一」の姿勢は、日本的経営の特徴とされる終身雇用制度と密接に結びついていた。従業員は会社に一生涯面倒を見てもらえるという安心感と引き換えに、私生活を犠牲にしてでも会社に尽くすことを求められたのかもしれない。

「サービス残業」の常態化

高度経済成長期に定着し、後の日本の労働問題の根源となった慣行の一つが「サービス残業」である。これは、残業代が払われないままに働くことを指す。

「残業代なんて請求したことありませんでした。みんな当たり前のように残業していましたからね。『残業代をください』なんて言ったら、仕事に熱心でないと思われそうで…。」

この「サービス残業」の慣行は、企業にとっては人件費の抑制につながり、経済成長を後押しした一因とも言える。しかし、労働者の権利という観点からは大きな問題をはらんでいた。にもかかわらず、多くの労働者がこれを受け入れていたのは、前述の「モーレツ社員」精神や「社畜」文化と無縁ではないだろう。

「過労死」という悲劇

高度経済成長期の過酷な労働環境は、後に「過労死」という深刻な社会問題を生み出すことになる。過労死という言葉自体は1970年代後半に生まれたものだが、その土壌は高度経済成長期に形成されたと言える。

1969年、30代の社員が過労が原因で突然死した事件は、日本社会に大きな衝撃を与えた。彼は1ヶ月に159時間もの残業をこなしていたという。この事件は、経済成長の裏で進行していた労働者の健康被害を浮き彫りにした。

労働問題に詳しいあるジャーナリストは次のように分析する。「高度経済成長期の『頑張れば報われる』という神話が、多くの人々を過酷な労働に駆り立てたのです。しかし、その代償は余りにも大きかった。過労死は、経済成長の影の部分を象徴する現象だと言えるでしょう。」


「企業戦士」たちの誇りと葛藤

高度経済成長期の労働者たちは、しばしば「企業戦士」と呼ばれた。彼らは文字通り、企業のために戦う戦士のような存在だったのである。

「確かに今から思えば、あの働き方は異常だったかもしれません。でも、日本の未来のために頑張っているんだという自負がありました。海外出張で外国人に『日本製品は素晴らしい』と言われるような場面もあり、本当に嬉しかったですね。」

一方で、家庭を顧みる時間のなさに悩む者も多かった。「夫は子どもの顔を見るのは週末だけ。それも寝ている姿を見るだけでした。子どもたちは『お父さんは会社に住んでいるの?』と聞いてきたものです。」

このように、「企業戦士」たちは仕事への誇りと家庭への罪悪感の間で葛藤していた。彼らの多くは、日本の発展のために自己を犠牲にすることを美徳と考えていたのかもしれない。

「出世競争」の熾烈さ

高度経済成長期の企業では、激しい出世競争が繰り広げられていた。この競争が、さらなる長時間労働を助長したと言える。

「同期入社の仲間たちと、誰が一番遅くまで残っているかを競っていましたね。早く帰るということは、仕事への熱意が足りないと思われかねない。だから皆、必死で残業していました。」

この出世競争は、時に非人間的な状況を生み出すこともあった。ある商社では、社員の勤務時間を可視化するために、各自の机の上に「退社時間表示板」を置くことを義務付けていたという。これにより、誰がどれだけ遅くまで働いているかが一目でわかるようになった。

ある労働社会学者は、この現象を分析する。「高度経済成長期の日本企業では、長時間労働が出世の条件の一つとなっていました。これは生産性の向上には必ずしもつながらず、むしろ非効率な労働を助長した面があります。しかし、当時の日本人にとっては、これが『当たり前』の光景だったのです。」

社畜

「社宅」文化と会社への帰属意識

高度経済成長期には、多くの企業が「社宅」を提供していた。これは単なる福利厚生ではなく、従業員の会社への帰属意識を高める役割も果たしていた。

「社宅では、隣近所全員が同じ会社の人間でした。休日に家族ぐるみの付き合いをしたり、子どもたちも一緒に遊んだり。会社の話で盛り上がることも多かったですね。会社が生活の全てと言っても過言ではありませんでした。」

この「社宅」文化は、従業員の私生活と仕事の境界をさらに曖昧にした。会社の同僚が隣人であり、子どもの遊び友達の親でもあるという環境は、否が応でも会社への帰属意識を高めることになった。

労働問題に詳しいあるジャーナリストはこう指摘する。「社宅制度は、従業員を会社に縛り付ける『黄金の手錠』の役割を果たしていました。会社を辞めることは、住む場所を失うことにもつながる。そのため、多少の不満があっても会社に留まる従業員が多かったのです。」

「根性論」と「精神主義」の蔓延

高度経済成長期の日本の職場では、「根性論」や「精神主義」が蔓延していた。これは、困難な状況でも精神力で乗り越えるべきだという考え方だ。

「上司からよく『根性が足りない』『精神力だ』と言われました。体調不良で休もうものなら、『甘えるな』と叱責される。そういう雰囲気が当たり前でした。」

この「根性論」は、時として非人間的な労働環境を正当化する口実にもなった。とある工場では、真夏の炎天下での作業中に熱中症で倒れる労働者が続出しても、「根性で乗り切れ」と作業を続行させたという。

『根性論』や『精神主義』は、個人の努力で全てが解決できるという幻想を生み出した。しかし、これは労働環境の改善や労働者の権利向上を妨げる要因にもなり得る。過酷な労働条件を個人の努力で乗り越えるべきだという風潮が、労働問題の解決を遅らせたと言えるのかもしれない。

「社員旅行」と「運動会」の盛況

高度経済成長期の特徴的な企業文化として、「社員旅行」や「運動会」の盛況が挙げられる。これらのイベントは、従業員の士気を高め、チームワークを強化する目的で盛んに行われていた。

「毎年、会社全体で旅行に行きました。数百人規模です。温泉地に泊まって、宴会では上司と部下の垣根を越えて盛り上がりました。翌日はゴルフや観光。これが年中行事だったんです。」

また、多くの企業で毎年開催されていた運動会も、従業員の結束を強める重要な機会だった。「運動会は単なるレクリエーションではありませんでした。社長から平社員まで一緒になって汗を流す。これが会社の一体感を生み出していたんです。」

しかし、これらのイベントへの参加は事実上強制であり、休日返上で参加せざるを得ないケースも多かった。表面上は従業員の親睦を深めるためのイベントではあるが、実質的には会社への帰属意識を高めるための洗脳の場としての側面もあったのではないだろうか。プライベートの時間を会社に捧げることが当然視される風潮を作り出していた。


「終身雇用」と「年功序列」の確立

高度経済成長期に確立された日本的雇用慣行の特徴として、「終身雇用」と「年功序列」が挙げられる。これらの制度は、従業員に強い安心感を与え、会社への忠誠心を高める役割を果たした。

一度入社すれば、定年まで雇用が保証されるという安心感があった。給与も勤続年数に応じて自動的に上がっていく。だからこそ、会社のために命を懸けて働こうという気持ちになれた。

この「終身雇用」と「年功序列」の制度は、日本企業の強さの源泉とも言われた。従業員の長期的な育成が可能になり、技術やノウハウの蓄積につながったのである。

しかし、この制度には負の側面もあった。終身雇用制度は、従業員の転職を事実上不可能にしたが、一度入社したら、よほどのことがない限り会社を辞められない。これが、過酷な労働条件を受け入れざるを得ない状況を生み出したのかもしれない。

「家族主義的経営」の功罪

高度経済成長期の日本企業では、「家族主義的経営」が広く行われていた。これは、会社を一つの大家族と見立て、経営者が従業員の面倒を親のように見るという考え方だ。

「社長は従業員のことを『うちの子たち』と呼んでいました。結婚式には必ず出席してくれましたし、病気で入院した時は見舞いに来てくれた。本当に家族のような雰囲気でしたね。」

この「家族主義的経営」は、従業員の忠誠心を高め、一体感のある職場を作り出す上で大きな役割を果たした。しかし、その一方で従業員の自立を妨げる面もあった。

この経営スタイルは、家族主義的経営として、従業員を『永遠の子ども』のような存在にしてしまった。自己決定権を奪い、会社への依存を強める。結果として、過剰な忠誠心や自己犠牲を美徳とする風潮を生み出したのだろう。

「単身赴任」文化の誕生

高度経済成長期には、「単身赴任」という働き方が一般化し始めた。これは、家族と離れて一人で赴任先で働くという形態だ。

入社して5年目、突然の辞令で九州支社への転勤を命じられ、家族は東京に残し、自分一人が赴任することになった。当時は『仕事のためなら当然だ』と思っていたが、今思えば家族との時間を奪われていたと当時の人は語る。

この「単身赴任」は、企業にとっては人材を効率的に配置できるメリットがあった。しかし、労働者とその家族にとっては大きな負担となった。

ある社会学者は、単身赴任の問題点をこう分析する。「単身赴任は、仕事を家庭より優先する価値観を強化しました。家族との別居を当然とする風潮が、ワークライフバランスの概念が根付かない要因の一つになったと言えるでしょう。」

社畜

「社内結婚」の奨励

高度経済成長期には、多くの企業が「社内結婚」を奨励していた。これは、同じ会社の従業員同士の結婚を指す。

「会社主催の運動会やレクリエーションで、独身社員同士の出会いの場が設けられていました。結婚すると祝い金がもらえるし、社宅に入居できる。だから、自然と社内結婚が増えていきましたね。」

この「社内結婚」の奨励には、企業側の狙いがあった。ある労働問題研究者は次のように分析する。「社内結婚は、従業員の会社への帰属意識をさらに高める効果がありました。夫婦ともに同じ会社で働くことで、生活のすべてが会社を中心に回るようになる。これが、より一層の忠誠心と献身的な働き方につながったのです。」

しかし、この慣行にも問題点があった。ジェンダー問題に詳しい社会学者は、こう指摘する。「社内結婚は、しばしば女性の キャリア形成を妨げる要因となりました。『夫が同じ会社にいるのだから、妻は補助的な仕事で十分』という考えが、女性の昇進を遅らせる原因の一つとなったのです。」


「社員寮」生活の実態

高度経済成長期には、多くの企業が若手社員向けに「社員寮」を提供していた。これは単なる住居ではなく、会社の文化や価値観を叩き込む場でもあった。

「朝は6時に起床。全員で体操をして、食堂で朝食。夜は門限があって、外泊は許可制。まるで軍隊のようでした。でも、先輩後輩の絆が深まり、会社への帰属意識も高まりました。」

この「社員寮」生活は、若手社員を会社の価値観に染め上げる役割を果たしていた。社員寮は、会社の『洗脳装置』とも言える存在であった。プライバシーがほとんどない環境で、四六時中会社のことを考えさせられる。これが、後の『モーレツ社員』を生み出す土壌となったのではないだろうか。

「社内運動」の隆盛

高度経済成長期の特徴的な現象として、「社内運動」の隆盛が挙げられる。これは、生産性向上や品質改善を目指して、全社を挙げて取り組む運動のことだ。

「『品質向上運動』や『コスト削減運動』が次々と展開され、毎日朝礼で掛け声をかけ、目標達成のために残業も厭わない。達成すると表彰があり、みんな必死であった。

これらの「社内運動」は、従業員の意識改革と生産性向上に一定の効果があった。しかし、その一方で従業員に過度の負担を強いる面もあった。

ある経営学者は、この現象をこう分析する。「社内運動は、従業員の自発性を引き出すという名目で、実質的には長時間労働や過度の競争を強いるものでした。会社の目標を個人の目標として内面化させる。これが、後の『過労死』問題につながる素地を作ったと言えるでしょう。」

まとめ 光と影が交錯した時代、そして新しい「働き方」へ

高度経済成長期の日本人の働き方は、まさに光と影が交錯した時代だったと言える。一方では、驚異的な経済成長を支えた「企業戦士」たちの献身的な姿があった。彼らの努力が、日本を世界有数の経済大国へと押し上げたことは疑いようがない。

しかし他方では、過酷な労働環境、家庭生活の犠牲、そして後の「過労死」問題につながる働き方の萌芽もあった。「モーレツ社員」や「社畜」という言葉に象徴される、仕事に人生のすべてを捧げるような働き方は、現代の視点から見ればあまりにも極端だったと言わざるを得ない。

ある労働問題研究者は、この時代を次のように総括する。「高度経済成長期の日本人の働き方は、日本の経済発展という光をもたらした一方で、労働者の人権や健康、家庭生活という影の部分も生み出しました。この時代の経験は、効率や成長だけでなく、個人の尊厳や生活の質を大切にする働き方の重要性を私たちに教えてくれているのです。」

現代の日本は、この高度経済成長期時代と向き合いながら、新たな働き方を模索している。長時間労働の是正、ワークライフバランスの推進、多様な働き方の実現など、様々な取り組みが行われている。これらは、高度経済成長期の経験を踏まえた上で、より人間らしい働き方を目指す試みだと言えるだろう。

高度経済成長期の日本人の働き方は、確かに過酷で非人間的な面もあった。しかし、その経験があったからこそ、現代の私たちは「より良い働き方とは何か」を真剣に考え、追求することができるのである。この意味で、高度経済成長期は、日本の労働の歴史における重要な転換点であり、今なお私たちに多くの教訓を与え続けている時代なのだ。