ありがとう、ごめんなさいが言えるなら

ありがとう、ごめんなさいが言えるなら

人と人との交わりの中で、欠かすことの出来ない言葉「ありがとう、ごめんなさい」これはさまざまな場面において自分の相手に対する意思表示の一つとしてなくてはならない言葉ですね。

私は若い頃、正直に申し上げて「ありがとう、ごめんなさい」が言えない青年でした。それどころか、「おはよう、こんにちは」の挨拶すら避けておりました。なんとも不誠実で無愛想で、さぞかし周りの人間から遠ざかった立ち位置にいたんだろうと今になって思います。それは人と人とが交わっていく中で原理原則とも言うべき最低限度の人間活動が出来ていなかった。あの頃はだから人もついてこなかったし、この人は何を考えているんだろうと疑いの目を向けられていたのは間違いありません。

どんなに口下手でも引っ込み思案だと思っていても、この言葉だけは忘れてはいけません。そして面白いことを言って笑わせたり、人のためになるような話が出来ても、挨拶やありがとうごめんなさいが言える人間でなければ、今は良くても、年齢を重ねて自分というものが形成されて行った時、決定的な人間味の差が生まれます。社会との交わりの中でどこか歯車が噛み合わない場面に必ず遭遇します。

仕事なんて出来なくたっていい、ただその時にはっきりと「ごめんなさい、すみません」が言えるかどうか。
仕事がうまくいった時、その時に自分の頑張りよりも先に周囲に対して「ありがとうございます」が言えるかどうか。
家族から普段何気なく当たり前のようにしてもらっていることに感謝の気持ちで「ありがとう」が言えるかどうか。
誰かを傷つけてしまったとき、自分から素直に「ごめんなさい」が言えるかどうか。

その他にも似たような場面はたくさんあるのと思うのですが、とにかくこの気持ちを常に忘れてはいけません。
ただ言葉を告げるのではなく、自分の中から感じて、気持ちを伝えることが大切です。
筆者は前述で若い頃の話をしましたが、年を重ねていくにつれ責任も増え、関わる人間が多くなっていくにつれ、その当たり前の重要性に気づき、遅かれど習慣化させたことで、以前とは比べものにならないくらい人間関係は円滑になったし、何より自分自身に少しだけでも自信が持てるようになったと感じています。引っ込み思案だったあの頃から、今はこちらから相手に歩み寄ることで世界がひらけてきたという感覚でしょうか。

どんな時も、相手をしっかり見て、はっきりと張った声で、「ありがとう」「ごめんなさい」を言える自分になってくださいね!
きっとあなたの「本当の持ち味」が伝わり始めるでしょう。