承認欲求の変化|「内集団の評価」から「不特定多数の反応」へ
昭和において、人が認められるべき場所は明確だった。家族、職場、地域社会。この限定された「内集団」から評価されることが、自己肯定感の源泉だった。上司に褒められる、近所で評判になる、家族に誇らしく思われる。こうした具体的な人々からの承認が、人生の意味を与えた。
この構造のメリットは、承認欲求が充足されやすかったことである。評価者が限定されているため、彼らの期待に応えることに集中できた。また、長期的な関係性の中で信頼が積み上げられるため、一度得た承認は比較的安定していた。
令和の承認欲求は、SNSというプラットフォームによって根本的に変質した。評価者は不特定多数のフォロワーであり、承認の形は「いいね」「リツイート」「シェア」という数値化された反応である。
ここに令和の病理がある。不特定多数からの承認は、満たされることがない。なぜなら、比較対象が無限に存在し、常に「もっと多くの反応が欲しい」という欲望が生まれるからだ。昨日100いいねをもらっても、今日は200欲しくなる。インフルエンサーと自分を比較して落ち込む。承認欲求が暴走し、コントロール不能になっている。
さらに深刻なのは、SNS上の承認が極めて不安定であることだ。今日バズった投稿も、明日には忘れ去られる。フォロワーは匿名で、いつでも離れていく。深い人間関係に基づかない承認は、砂上の楼閣のように脆い。
令和の人々は、承認への飢餓感を抱えながら、同時に承認されることへの疲労も感じている。「見られている」という意識が常にあり、SNS用の「映える」人生を演出し続けなければならない。本当の自分と、SNS上の自分との乖離が、精神的な負担を生み出している。
昭和の承認は質的だった。令和の承認は量的である。そして、量は質を満たすことができない。これが令和の承認欲求をめぐる本質的な問題である。
時間感覚の変容|「未来のための現在」から「現在のための現在」へ
昭和は未来志向の時代だった。今日の苦労は明日の幸せのため。今の我慢は将来の成功のため。人々は常に「これから良くなる」という希望を抱いて生きていた。高度経済成長期の日本は、実際に年々豊かになり、この希望は現実のものとなった。
この未来志向は、人々に現在の苦痛を耐える力を与えた。長時間労働も、満員電車も、狭い社宅も、すべては「より良い未来」への投資だった。貯金をし、家を買い、子どもの教育費を蓄える。こうした行動すべてが、未来への期待に支えられていた。
令和の時間感覚は大きく異なる。「今を楽しむ」ことが最優先される。なぜなら、未来が明るいという保証がどこにもないからだ。年金制度は崩壊の危機にあり、終身雇用は幻想となり、経済成長は停滞している。こんな状況で、未来のために現在を犠牲にする意味があるだろうか。
だから令和の人々は、今を楽しむことに全力を注ぐ。旅行に行き、おいしいものを食べ、趣味に没頭する。「YOLO(You Only Live Once、人生一度きり)」というスローガンのもと、現在の快楽を最大化しようとする。
これは一見、健全な生き方のように思える。しかし、ここにも令和の矛盾がある。本当に「今」を楽しんでいるのだろうか。多くの場合、人々は「今を楽しんでいる自分」をSNSで演出することに忙しい。旅行先で完璧な写真を撮るために何度も撮り直し、食事の時間よりもその写真を加工する時間の方が長い。これは「今を楽しむ」というよりも、「今を楽しんでいるように見せる」行為ではないだろうか。
また、現在志向は将来への不安を覆い隠すための防衛機制でもある。考えても仕方がない未来を考えないことで、心の平穏を保とうとしている。しかし、この戦略は長期的には破綻する。準備をしなければ、不安定な未来はより一層過酷なものとなる。
昭和は未来を信じすぎて現在を犠牲にした。令和は未来を諦めて現在に逃避している。どちらもバランスを欠いているが、特に令和の現在志向は、長期的な視点の欠如という深刻な問題をはらんでいる。

失敗との向き合い方|「糧にする文化」から「許されない風潮」へ
昭和社会は失敗に寛容だった、と言うと意外に思われるかもしれない。確かに学歴社会であり、競争社会だった。しかし、一度や二度の失敗でその人の人生が決定的に閉ざされることは少なかった。
会社で失敗しても、それは「勉強代」として許容された。若い頃の失敗は成長の糧と見なされ、むしろ失敗から学ぶことが推奨された。「失敗は成功の母」という言葉が生きていた時代である。転職や起業に失敗しても、また雇用してくれる会社があった。セーフティネットが機能していたのである。
令和はどうか。表面的には「失敗を恐れるな」「チャレンジしよう」というメッセージが溢れている。しかし実態は、失敗が決定的に記録され、消えることがない社会である。
デジタルタトゥーという言葉がある。インターネット上に一度公開された情報は、完全に消去することが極めて困難である。SNSでの失言、若気の至りの写真、企業の不祥事。すべてが永遠に記録され、いつでも掘り起こされる可能性がある。
さらに、令和社会は「炎上」という形で、失敗や過ちを集団で糾弾する文化を発展させた。一つの失言が瞬時に拡散され、数万人から批判を浴びる。社会的制裁は即座に、そして過剰に執行される。
この環境下で、人々は失敗を極度に恐れるようになった。「チャレンジしよう」と言われても、失敗したときのリスクが大きすぎる。結果として、令和の人々は安全な選択肢ばかりを選び、イノベーションは停滞する。
皮肉なことに、「多様性を認めよう」と言いながら、令和社会は失敗という多様性を認めない。完璧主義が蔓延し、少しの綻びも許されない。SNSに投稿する写真は何度も加工され、実際の生活からかけ離れた完璧な自分が演出される。
昭和は失敗を「プロセス」として受け入れた。令和は失敗を「結果」として糾弾する。この変化は、人々から挑戦する勇気を奪い、社会全体の活力を低下させている。
幸福の定義|「到達点」から「瞬間の連続」へ
昭和の幸福には明確なゴールがあった。家を持つこと、家族を養うこと、定年まで勤め上げること。こうした達成可能な目標に向かって努力し、それを実現することが幸福だった。幸福は「到達するもの」であり、測定可能なものだった。
この幸福観のメリットは、達成感を得やすいことだった。家を買えば、それは明確な成功であり、幸福だった。周囲も同じ基準で評価するため、社会的にも認められた。
令和の幸福は、極めて抽象的で捉えどころがない。「自分らしく生きること」「やりたいことをすること」「好きなものに囲まれること」。これらはすべて主観的で、明確な達成基準がない。
さらに、令和の幸福は「瞬間の連続」として理解される。おいしいものを食べた瞬間、美しい景色を見た瞬間、友人と笑い合った瞬間。こうした小さな幸せを積み重ねることが、幸福な人生だとされる。
しかし、瞬間的な幸福には問題がある。持続しないのである。おいしい料理を食べ終われば、幸福感は消える。次の幸福を求めて、また新しい体験を探さなければならない。これは幸福の消費社会化である。
令和の人々は、幸福を「買う」ようになった。旅行を買い、グルメ体験を買い、モノを買う。資本主義は巧みにこの心理を利用し、「幸せになるためには消費が必要」というメッセージを発信し続ける。結果として、人々は幸福を追求すればするほど、経済的に疲弊し、かえって不幸になるという悪循環に陥っている。
昭和の幸福は静的だった。一度到達すれば、その状態が続いた。令和の幸福は動的である。常に次の幸福を追い求めなければならない。どちらが本当の幸福なのか。おそらく答えはその中間にあるのだが、令和はあまりにも瞬間的な幸福に偏りすぎているように思える。
まとめ
令和と昭和、どちらの時代が良いのか。この問いに簡単な答えはない。昭和には自由がなかったが、安定があった。令和には自由があるが、不安がある。どちらの時代にも、固有の苦しみと喜びがある。
ただ一つ確実に言えるのは、令和は昭和の反動として生まれた側面があるということだろう。昭和の窮屈さへの反発が、令和の過度な個人主義を生んだ。昭和の画一性への嫌悪が、令和の行き過ぎた多様性信仰を生んだ。
しかし、振り子が逆に振れすぎると、新たな問題が生まれる。令和社会が抱える孤独、不安定、分断という問題は、昭和への過剰な反発の結果とも言える。
おそらく、これから必要なのは、昭和の「共同体の力」と令和の「個人の自由」を、どのように両立させるか。昭和の「安定」と令和の「多様性」を、どのように融合させるか。答えは簡単には見つからないが、両極端のどちらかを選ぶのではなく、新しいバランスを模索することが、これからの時代に求められている。
令和を生きる私たちは、昭和を単に「古い時代」として切り捨てるのではなく、そこから学べることは学び、同時に令和の良い部分を育てていく必要がある。時代を批判することは簡単だが、より良い社会を作ることは難しい。しかし、それこそが今を生きる私たちの責任なのである。
令和と昭和の違いを見つめることは、結局のところ、「私たちはどう生きるべきか」という普遍的な問いに向き合うことである。時代がどう変わろうとも、人間の本質的な欲求、幸福への渇望、つながりへの希求は変わらない。その答えを、私たちは今、この令和の時代の中で探し続けているのである。
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