
なぜ私たちは「モヤモヤ」をうまく言葉にできないのか
胸の奥に何かが引っかかっている。何となく気分が晴れない。でも、それが一体何なのか、誰かに説明しようとすると言葉に詰まってしまう──こんな経験は誰にでもあるだろう。人生におけるモヤモヤの正体は、実は驚くほど複雑で多層的である。
私たちが日常で感じる感情の多くは、実は言語化される前に消えてしまうか、あるいは言語化できないまま心の奥底に沈殿していくことが分かっている。感情には無数のグラデーションがあるのに、それを表現する語彙は驚くほど限られている。「嬉しい」「悲しい」「怒り」といった基本的な感情語では、微妙なニュアンスを捉えきれないのだ。
モヤモヤの多くは複数の感情が絡み合った状態であり、例えば、職場での出来事に対して感じるモヤモヤは、単純な「怒り」ではなく、失望、不安、寂しさ、自己否定、諦めといった感情が混ざり合っている可能性がある。この複雑さこそが、言語化を困難にする最大の要因なのだ。
言葉にできないモヤモヤの影響
言葉にできない感情を抱え続けることは、想像以上に心身に負担をかける。精神医学の分野では、「アレキシサイミア」という言葉で、自分の感情を認識したり表現したりすることが困難な状態を表現する。この状態が続くと、ストレスが身体症状として現れたり、人間関係に支障をきたしたりすることがある。
モヤモヤを抱えたまま過ごすということは、心の中に未解決の問題を積み重ねていくようなものだ。それは部屋に散らかったものを片付けずに放置するのと似ている。最初は小さな違和感でも、時間とともに積み重なり、やがては日常生活全体に影響を及ぼす重荷となる。集中力の低下、睡眠の質の悪化、原因不明のイライラなど、様々な形で私たちの生活の質を下げていくのである。
また、自分が何に困っているのか、何を求めているのか、どこに向かいたいのかが分からないまま日々を過ごすことになる。これは人生の舵取りを放棄しているようなもので、目的地が分からなければ、どの道を選ぶべきかも判断できない。
書くことが持つ驚異的な治癒力
ここで注目したいのが、書くという行為が持つ特別な力である。心理学者のジェームズ・ペネベーカーは、30年以上にわたる研究を通じて、「表現的筆記」が心身の健康に与える影響を明らかにしてきた。自分の感情や経験について15分から20分程度書く作業を数日間続けるだけで、免疫機能が向上し、ストレスが軽減され、うつ症状が改善されることが実証されている。
なぜ書くことにこれほどの効果があるのか。その理由の一つは、書くという行為が思考を可視化するからである。頭の中でぐるぐると回っている考えを文字として外に出すことで、それを客観的に眺めることができるようになる。自分の思考を第三者の視点から見ることで、新たな気づきが生まれるのだ。
また、書くという行為には必然的にペースダウンが伴う。話すスピードと比べて、書くスピードははるかに遅い。この遅さが、実は重要なのである。ゆっくりと言葉を選び、文章を組み立てる過程で、私たちは自分の感情をより丁寧に観察し、整理することができる。急いで結論を出すのではなく、感情の細部に目を向ける余裕が生まれるのだ。
モヤモヤを言語化するための第一歩|判断を保留する勇気
多くの人がライティング・セラピーに挑戦しようとして挫折する最大の理由は、「ちゃんとした文章を書かなければ」という思い込みである。しかし、モヤモヤを言語化する目的は、美しい文章を書くことでも、論理的な説明をすることでもない。ただ、心の中にあるものを外に出すことだけが重要なのだ。
だからこそ、最初のステップは「判断を保留する」ことである。文法が正しいか、表現が適切か、論理が通っているか──そうした評価は一切せず、ただ頭に浮かんだことを書き出していく。誤字脱字も気にしない。文章が途中で終わっても構わない。同じことを何度も書いても問題ない。この「評価なし」の空間を作ることが、言語化の扉を開く鍵となる。
心理学では、これを「判断を手放す」と表現する。私たちの脳は常に物事を評価し、分類し、判断している。しかし、この評価機能が働いている限り、本当の感情は表に出てこない。「こんなことを感じるべきではない」「これは大人気ない考えだ」といった内なる批判が、素直な感情表現を妨げてしまうからだ。
実際に書き始める際は、タイマーを10分にセットし、その間は手を止めずに書き続けるという方法が効果的である。意識的な思考が介入する隙を与えず、無意識に近い層から言葉を引き出すことができる。最初は支離滅裂に思える文章でも、そこには重要な手がかりが隠されていることが多い。
感情に名前をつける技術|語彙を増やす重要性

モヤモヤを言語化する上で意外に重要なのが、感情を表す語彙の豊富さである。私たちが使える言葉が少なければ、複雑な感情を捉えることはできない。例えば、「不安」という言葉一つとっても、心配、懸念、危惧、恐れ、動揺、緊張など、様々なニュアンスの違いがある。
心理学者のリサ・フェルドマン・バレットは、感情の粒度という概念を提唱している。これは、自分の感情をどれだけ細かく区別できるかという能力のことである。感情の粒度が高い人、つまり豊富な感情語彙を持つ人は、ストレスへの対処能力が高く、精神的な健康度も優れていることが研究で示されている。
感情語彙を増やすには、小説や詩を読むことが感情表現の宝庫に触れる絶好の機会である。作家たちは微妙な感情のニュアンスを捉えるために、様々な言葉を駆使している。また、感情を表す言葉のリストを作り、自分が感じている状態に最も近い言葉を探す習慣をつけることも効果的だ。
さらに、体の感覚と感情を結びつけることも重要である。「胸が締め付けられる」「肩が重い」「お腹がキリキリする」といった身体感覚は、感情の重要なシグナルだ。これらの感覚を言葉にすることで、抽象的な感情がより具体的で掴みやすいものになる。例えば、「何となくモヤモヤする」という表現を、「胸のあたりに重たい石が入っているような感じで、深呼吸がしにくい。まるで何かに圧迫されているような息苦しさがある」と書くことで、そのモヤモヤの性質がより明確になるのだ。
問いを立てる力|モヤモヤの正体に迫る質問術
ただ漠然と書くだけでは、そもそもの核心に辿り着けないこともある。そこで有効なのが、自分自身に問いかけるという方法である。適切な質問は、思考を深め、隠れていた感情を表面化させる力を持っている。
例えば、「何が私を不安にさせているのか」という問いから始めることができる。この問いに答えようとすると、漠然とした不安が具体的な要素に分解されていく。「締め切りに間に合わないかもしれない」「上司に評価されないかもしれない」「自分の能力が足りないかもしれない」といった具体的な心配事が浮かび上がってくる。
次に、「なぜそれが不安なのか」とさらに深掘りしていく。この「なぜ」を繰り返すことで、表面的な問題の下に隠れている本当の懸念が見えてくる。例えば、締め切りに間に合わないことへの不安を掘り下げていくと、「失敗して周囲から能力がないと思われたくない」という承認欲求や、「自分は価値のない人間だと証明されてしまうのではないか」という深い自己否定の感情が隠れているかもしれない。
他にも効果的な問いとしては、「もしこの問題が解決したら、私はどんな気持ちになるだろうか」「この状況で私が本当に求めているものは何か」「もし親友が同じ状況にいたら、私は何とアドバイスするだろうか」などがある。特に最後の質問は、自分を客観視する優れた方法だ。他人に対しては冷静で優しい視点を持てる私たちも、自分自身に対しては厳しすぎることが多いからだ。
物語の力|出来事を再構成する
人間は本質的に物語を求める生き物である。私たちは経験をバラバラの断片としてではなく、意味のある流れとして理解しようとする。この物語化の能力を、モヤモヤの言語化に活用することができる。
モヤモヤを感じさせる出来事を、一つの物語として書いてみる。ただし、事実だけを淡々と記録するのではなく、その時の感情、思考、身体感覚を丁寧に織り込んでいくこと。「上司に叱られた」という事実の記述だけでは不十分である。「会議室に呼ばれた時から胸騒ぎがした。上司の表情を見た瞬間、体が固まった。叱責の言葉一つ一つが耳に刺さり、顔が熱くなるのを感じた。反論したい気持ちと、その場から逃げ出したい気持ちが同時に湧き上がった」というように、体験を立体的に再現するのだ。
物語として書くことのもう一つの利点は、視点を変えられることである。同じ出来事を、第三者の視点から書いてみる。あるいは、時間が経った未来の自分の視点から振り返ってみる。視点を変えることで、その時は見えなかった側面が浮かび上がってくることがある。上司の叱責も、未来の視点から見れば「あの時の厳しい指摘が、結果的に自分の成長につながった転機だった」と意味づけが変わるかもしれない。
しかしただ一つの「正しい」物語があるわけではない。同じ出来事について、何通りもの物語を書いてみることで、自分がどの解釈に最もしっくりくるか、あるいはどの解釈が最も建設的かを見極めることができる。
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