11. 1970年ペルー地震(アンカシュ地震)
1970年5月31日、ペルー北部のアンカシュ県沖で発生した地震は、マグニチュード7.9を記録しました。この地震による最大の被害は、ワスカラン山の大規模な雪崩で、死者数は約66,000人に達しました。
地震によって誘発された雪崩は時速280kmという猛スピードで山を下り、ユンガイという町を完全に飲み込みました。この町では約18,000人の住民のうち生存者はわずか400人という壊滅的な被害を受けました。この災害は、地震の二次災害としての山岳災害の危険性を世界に知らしめました。また、ペルーの歴史的建造物にも甚大な被害をもたらし、多くの考古学的価値のある建物が失われました。国際社会は大規模な支援を行いましたが、ペルーの困難な地形条件と社会基盤の脆弱さから、復興は長期間を要しました。この災害を契機に、ペルーは国家防災システムを整備し、山岳地帯の都市計画にも地震と土砂災害のリスク評価が取り入れられるようになりました。
12. 2008年四川大地震(汶川地震)
2008年5月12日、中国四川省汶川県で発生した地震は、マグニチュード8.0を記録し、死者数は約87,000人、負傷者は約37万人に達しました。日本の援助で建設されていた耐震基準を満たす建物が被害を免れた一方で、多くの学校建築が倒壊し「豆腐渣工程(手抜き工事)」として大きな社会問題となりました。
この地震では、山間部での大規模な地滑りや土砂災害が発生し、多くの町や村が孤立しました。中国政府は迅速に大規模な救援活動を展開し、国際社会からの支援も受け入れました。この災害対応は2008年北京オリンピック直前の中国の対外イメージ向上にもつながりました。震災後、中国政府は「汶川地震復興再建条例」を制定し、3年間で約1兆元(約14兆円)を投じる大規模復興計画を実施しました。この地震を機に、中国全土の建築基準の見直しと強化が進められ、学校や病院など重要施設の耐震性向上に特に力が入れられました。また、被災地のいくつかは「地震博物館」として保存され、防災教育の場となっています。
13. 1964年アラスカ地震
1964年3月27日、アメリカのアラスカ州アンカレッジ近郊で発生した地震は、北米大陸で記録された最大の地震で、マグニチュード9.2を記録しました。地震と津波による死者数は131人と比較的少なかったものの、物理的な地形変化は驚異的で、一部の地域では地盤が11メートル以上も隆起または沈降しました。
この地震は北米大陸の人口密集地から離れた場所で発生したため、人的被害は限定的でしたが、アンカレッジの市街地では液状化現象によって大きな被害が生じました。地震後、津波がアラスカ沿岸からハワイ、カリフォルニアまで到達し、広範囲に被害をもたらしました。この地震は、プレートテクトニクス理論が一般的になる直前の重要な科学的イベントとなり、沈み込み帯での巨大地震のメカニズム解明に大きく貢献しました。震災後、アメリカ政府は全米地震危険度低減プログラム(NEHRP)の設立など、地震研究と防災政策の強化を進めました。アラスカ州内では、この地震を機に建築基準が大幅に強化され、地震に強い都市づくりが推進されました。
14. 1995年阪神・淡路大震災
1995年1月17日、日本の兵庫県南部を震源として発生した地震は、マグニチュード7.3を記録し、神戸市を中心に甚大な被害をもたらしました。死者数は6,434人に達し、戦後日本最大の都市直下型地震災害となりました。
この地震の特徴は、都市直下の活断層で発生した「内陸型地震」であり、震源に近い地域では「震度7」(当時の気象庁震度階級の最高値)が観測されました。神戸の密集市街地では多くの木造住宅が倒壊し、阪神高速道路の倒壊など都市インフラにも甚大な被害が生じました。この災害は、戦後日本の高度経済成長期に整備された都市インフラの脆弱性を露呈させ、建築基準法の大幅な改正につながりました。また、約137万人のボランティアが被災地に駆けつけ、「ボランティア元年」と呼ばれる市民による災害支援活動の画期となりました。政府の初動対応の遅れから、災害対策基本法の改正や緊急消防援助隊の創設など、日本の防災体制は大きく変革されました。「創造的復興」をスローガンに掲げた神戸市は、より災害に強い都市づくりを目指し、防災福祉コミュニティの形成など、ハード・ソフト両面からの復興を進めました。

15. 2005年カシミール地震
2005年10月8日、パキスタン管理カシミール地域を震源として発生した地震は、マグニチュード7.6を記録し、パキスタンとインドで約87,000人の死者を出しました。山岳地帯での発生という地理的条件も加わり、多くの集落が孤立し、救援活動は極めて困難を極めました。
この地震の被災地は、インドとパキスタンの係争地域であるカシミールに位置しており、政治的な複雑さが救援活動にも影響しました。しかし、この災害は両国間の一時的な関係改善をもたらし、国境の一部開放など人道的な協力が実現しました。パキスタン軍が救援活動の中心となりましたが、急峻な地形と厳しい天候条件のため、多くの被災者は数週間にわたって援助を受けられない状態に置かれました。この経験から、山岳地域での災害対応の難しさと事前準備の重要性が国際的に認識されるようになりました。また、不適切な建築慣行の問題が浮き彫りとなり、パキスタンでは建築基準の見直しと厳格な適用が進められました。この地震を契機に、南アジア地域全体で地震リスク評価と防災計画の強化が図られています。
16. 1999年台湾集集地震
1999年9月21日、台湾中部の南投県集集鎮付近で発生した地震は、マグニチュード7.6を記録し、2,415人の死者を出しました。地表に現れた断層変位は最大9メートルに達し、土地の所有権問題など複雑な社会的課題も発生しました。
この地震では、台湾の急速な経済発展の中で建設された多くの中層集合住宅が倒壊し、建築基準の遵守と監査体制の問題が大きく取り上げられました。特に倒壊した建物の一部からコンクリート内部に空き缶が混入していたことが発見され、「手抜き工事」の象徴として大きな社会問題となりました。この震災を契機に、台湾では建築基準の大幅な強化と監査体制の改革が行われました。また、災害時の情報伝達システムの近代化や、学校の耐震化プログラムなど、包括的な防災対策が進められました。震災10年後の2009年に発生した台風モーラコットによる災害対応でも、集集地震の教訓が活かされたと評価されています。台湾の地震研究も大きく進展し、地震早期警報システムの開発・導入が加速されました。
17. 2001年インド西部地震(グジャラート地震)
2001年1月26日、インド西部のグジャラート州を襲った地震は、マグニチュード7.7を記録し、約20,000人の死者を出しました。インド共和国記念日に発生したこの地震は、伝統的な日干しレンガの家屋が多い地域で甚大な被害をもたらしました。
この地震の被災地では、近代的な建築物と伝統的な建築物の被害の差が顕著でした。特に、カッチ地方の伝統的な建築技術「ブンガ」は円形の構造で耐震性に優れ、被害が少なかったことが注目されました。この経験から、地域の伝統的知識と近代的な耐震技術を融合させる「文化に適応した防災」の考え方が国際的に広まりました。震災後、グジャラート州では大規模な復興計画が実施され、「災害に強いコミュニティづくり」がモデルケースとして注目されました。インド政府は2005年に国家災害管理法を制定し、全国的な防災体制の強化を図りました。また、この地震を契機に、インド亜大陸におけるプレート内地震のリスク評価が進み、これまで地震リスクが低いとされていた地域でも防災対策が見直されました。
18. 1989年ロマ・プリータ地震
1989年10月17日、アメリカのカリフォルニア州サンフランシスコ湾岸地域で発生した地震は、マグニチュード6.9を記録し、63人の死者を出しました。ワールドシリーズの試合中継中に発生したため「ワールドシリーズ地震」とも呼ばれ、テレビを通じて全米に生中継されました。
この地震では、サンフランシスコとオークランドを結ぶサイプレス高架道路の崩壊が最も深刻な被害となり、42人が犠牲になりました。この事故を受けて、カリフォルニア州は大規模な橋梁と高速道路の耐震補強プログラムを開始し、その後の地震では同様の被害を防ぐことに成功しています。また、マリーナ地区での液状化現象による被害は、1906年の地震後に埋め立てられた土地の危険性を再認識させました。この地震は、1906年サンフランシスコ地震以来の大地震に備えてきたカリフォルニアの防災対策の効果を検証する機会となり、建築基準や緊急対応計画の改善につながりました。地震の教訓を活かし、カリフォルニア州は地震早期警報システムの開発に積極的に取り組み、現在では「ShakeAlert」という実用システムが運用されています
そして日本の南海トラフ地震の予想は
以上18もの歴史上の世界各地の巨大地震をご紹介しましたが、「地震大国日本」と言われるように、我々日本においても地震の脅威にさらされています。2025年になって修正発表された南海トラフ地震の発生確率は30年以内発生確率が80%という予測となっており、煽るつもりは毛頭ないのですが非常に重要な警告であり、注意すべき数字です。この高い確率は歴史的な地震発生パターンと最新の地殻変動データに基づいているようです。
筆者の見解としてこの数字は、社会全体で防災・減災に取り組むための明確なシグナルだと考えます。南海トラフ地震の特徴的な規模と影響範囲を考えると、この80%という高確率は「いつ起きても不思議ではない」というある意味での覚悟意識を持つことの重要性を示しています。
一方で、確率論には限界もあります。自然現象の複雑さを考えると、この数値は常に見直されるべきものであり、絶対的な予測ではありません。しかし、不確実性があるからこそ、個人レベルから国家レベルまで、あらゆる規模での備えが必要です。
結論として、南海トラフ地震の高い発生確率は、日本社会が災害に対してレジリエント(回復力のある)な体制を構築する契機となるべきです。防災教育の強化、インフラの耐震化、そして地域コミュニティの連携強化など、「起きる前にできること」を最大限に行うことで、被害を最小限に抑える社会の実現が可能になると考えます。
2




































































