経済的な負担という現実的な問題

意外と見過ごされがちだが、経済的な負担も同窓会参加を躊躇させる要因の一つである。会費は通常5000円から1万円程度が相場だが、これに交通費や二次会の費用を加えると、一回の同窓会で数万円の出費になることも珍しくない。遠方から参加する場合は、宿泊費も必要になる。
非正規雇用が増え、実質賃金が伸び悩む中、可処分所得は減少傾向にある。その限られた予算の中で、同窓会への出費を優先順位の上位に置くのは難しい。特に子育て世代にとっては、子どもの教育費や日々の生活費でギリギリの家計をやりくりしている状況も多い。「数万円あれば、家族で外食したり、子どもに何か買ってあげたりできる」と考えれば、同窓会への参加は贅沢に思えてくる。
また、同窓会では服装にも気を使わなければならない。学生時代の自分を知っている人々の前で、あまりにもみすぼらしい格好はできない。かといって、普段着ない服を新調するのも経済的負担だ。女性の場合は、美容院に行ったり、化粧品を揃えたりと、さらに出費がかさむこともある。
こうした金銭的な問題は、収入格差が拡大している現代社会において、より深刻な意味を持つ。同窓会の場で、経済状況の違いが明らかになることへの恐れも、参加を躊躇させる要因となっている。高級ブランドの服を着て、高級車の話をする同級生を前に、自分の経済状況を隠し通すのは容易ではない。
パンデミックが加速させた価値観の転換
2020年以降のコロナ禍は、同窓会を取り巻く状況に決定的な変化をもたらした。感染症対策のために多くの同窓会が中止や延期となり、人々は「同窓会がなくても生活に支障はない」ことを実感した。この経験は、同窓会の必要性そのものを問い直すきっかけとなった。
パンデミックは、私たちに「本当に大切なもの」を見極める機会を与えた。限られた時間とエネルギーを何に使うべきか、どの人間関係を維持すべきか——多くの人がこうした問いと向き合った。その結果、義理や慣習で維持していた人間関係を整理し、本当に大切な人とだけつながることを選択する人が増えた。同窓会という「なんとなく参加していた」イベントは、この整理の対象となることが多かった。
また、オンライン会議ツールの普及により、「集まる」ことの意味も変わった。物理的に同じ場所にいなくても、顔を見て話すことができる。一部ではオンライン同窓会も開催されたが、これも皮肉なことに「わざわざ会場に集まる必要はないのでは」という認識を強める結果となった。むしろオンラインの方が、遠方に住む人も参加しやすく、時間の制約も少ないという利点が明らかになったのである。
世代による意識の違い
同窓会に対する態度には、世代による明確な違いも見られる。バブル期以前に学生時代を過ごした世代にとって、同窓会は比較的ポジティブな意味を持つことが多い。高度成長期やバブル期という、社会全体が右肩上がりだった時代を共有した仲間との再会は、ノスタルジーと共に語られる。
一方、就職氷河期以降に社会に出た世代、特にミレニアル世代やZ世代と呼ばれる若い世代にとって、同窓会の意味合いは大きく異なる。彼らは経済的な不安定さの中で育ち、終身雇用や年功序列といった旧来の価値観が崩壊する過程を目の当たりにしてきた。学歴や就職先といった「肩書き」への信頼も薄く、むしろそうした尺度で人を測ることへの嫌悪感すら持っている。
若い世代は、SNSネイティブとして育ったため、オンラインとオフラインの境界も曖昧だ。「会う」ことの特別性が薄れ、物理的な距離は関係性の親密さとイコールではなくなった。本当に親しい友人とは、遠く離れていてもオンラインで頻繁に連絡を取り合い、そうでもない知人とは、同じ町に住んでいても年に一度も会わない——こうした選択的な人間関係の構築が当たり前になっている。
個人主義の進展と「つながり疲れ」
現代における個人主義の進展も、同窓会離れの背景にある。かつての集団主義的な文化では、組織や集団への帰属が個人のアイデンティティの大部分を占めていた。しかし今や、多くの人が「個人」としての自分を重視し、集団への無条件な忠誠を求められることに違和感を覚える。
同時に、現代人は「つながり疲れ」とも呼ばれる現象に直面している。スマートフォンを通して、私たちは常に誰かとつながっている状態にある。LINEのメッセージには即座に返信することが期待され、SNSでは「いいね」やコメントを返すことが暗黙の了解となっている。この「常時接続」のプレッシャーは、多くの人にとって大きなストレス源だ。
こうした状況下で、新たな人間関係を作ったり、希薄になった関係を再構築したりすることへの意欲は低下する。既存の人間関係を維持するだけで精一杯なのに、さらに同窓会で数十人の近況をキャッチアップし、それぞれと会話を交わし、後日SNSでつながるというプロセスは、負担でしかない。「これ以上、つながりを増やしたくない」という心理は、決してわがままなどではなく、自己防衛の一形態なのである。
同窓会の明日はどうなるのか

では、同窓会はそのうち消滅してしまうのだろうか。おそらくそうではない。しかし、その形は大きく変わっていくだろう。すでに一部では、大規模な全体同窓会ではなく、本当に親しかった少人数のグループで集まる「プチ同窓会」が主流になりつつある。あるいは、特定のテーマや目的を持った同窓会——例えば、起業家同士のネットワーキング、特定の趣味を共有する人たちの集まり、社会貢献活動を目的とした再会など——が増えている。
重要なのは、「同窓生だから集まるべき」という義務感ではなく、「この人たちと会いたい」という純粋な欲求に基づいた集まりへとシフトしていることだ。これは、ある意味では健全な変化と言えるかもしれない。形式的な付き合いではなく、本当に意味のある人間関係を大切にする——こうした価値観の転換は、同窓会に限らず、私たちの社会全体に起きている変化でもある。
同窓会に行かない選択をする人が増えているという現象は、決して人間関係を軽視しているからではない。むしろ逆に、限られた時間とエネルギーの中で、本当に大切な関係性を見極め、質の高いつながりを維持しようとする姿勢の表れなのだ。そう考えれば、同窓会の案内に「不参加」と返信することに、罪悪感を感じる必要はない。それは、自分の人生における優先順位を明確にした、一つの誠実な選択なのである。
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