
深刻化するネット誹謗中傷問題とSNS規制の意義
インターネット、特にSNSの普及に伴い、誹謗中傷やプライバシー侵害といった権利侵害情報の拡散が社会問題となって久しい。かつては「ネットの匿名性」を盾に、現実社会では決して口にしないような言葉が安易に発信され、被害者の精神的苦痛はもちろん、最悪の場合、自死に追い込まれるケースも後を絶たない。2020年に女子プロレスラーの木村花さんが誹謗中傷によって命を絶った事件は、世間に大きな衝撃を与えた。
こうした背景から、ネット上の権利侵害情報への対応を強化するため「情報流通プラットフォーム対処法」(以下、情プラ法)が2025年4月1日に施行されることが決定した。当初5月施行予定が前倒しとなったこの法律は、石破茂内閣が3月11日に施行日を定める政令を閣議決定したことで確定した。
情プラ法は、長らく運用されてきた「プロバイダ責任制限法」を大幅に改正し、法律名も変更したものだ。SNSをはじめとするプラットフォーム事業者の責任を明確化し、権利侵害情報への対応強化を図る内容となっている。本稿では、この新法がもたらす変化と期待される効果、そして私たち一人ひとりの責任について考察していく。
情プラ法の核心|何が変わるのか?
削除申請の迅速化と透明性の確保
情プラ法の最大の特徴は、権利侵害情報の削除プロセスの迅速化と透明性の確保だ。従来のプロバイダ責任制限法でも権利侵害情報の削除に関する枠組みは存在したが、実際の運用においては被害者側の負担が大きく、削除までに長時間を要するケースが多かった。
新法では、事業者に削除申出窓口の公表を義務づけ、被害者が容易に削除申請できる環境整備を促している。さらに注目すべきは、事業者に対して削除運用状況の年1回の公表を義務づけた点だ。これにより、各プラットフォームがどれだけ権利侵害情報に対応しているかが可視化されることになる。
このような透明性の確保は、事業者側の自主的な対応強化を促す効果が期待できる。「見られている」意識が働くことで、より積極的な権利侵害情報への対応が進むだろう。
専門員配置と人的体制の整備
省令では、大規模サービスごとに法律専門家などの「侵害情報調査専門員」を1人以上配置することを義務づけている。また、削除に対応する日本語スタッフの人数など人的体制の公表も必要となる。
これは非常に重要な点だ。特に海外のプラットフォーム事業者の場合、日本語の誹謗中傷への対応が遅れるケースが少なくなかった。言語や文化の壁により、日本特有の表現による誹謗中傷を正確に判断できないという問題があったためだ。専門員の配置と日本語対応スタッフの明確化により、こうした問題が改善されることが期待される。
罰則の強化|最大1億円の罰金
情プラ法では、総務大臣の是正命令に従わなかった場合、最大1億円の罰金が科せられる。この金額は、グローバルに事業展開する巨大プラットフォーム事業者に対しても一定の抑止力を持つだろう。
ただし、この罰則はあくまでも「総務大臣の是正命令に従わなかった場合」に適用されるものであり、個別の削除判断に対するものではない。つまり、システム的・組織的に法律の要請に応じる体制を整えることが求められているのであって、すべての権利侵害情報を完璧に削除することが求められているわけではない点には注意が必要だ。
「違法情報」ガイドラインの公表
情プラ法では、権利侵害情報には当たらないが削除すべき「違法情報」の種類を例示したガイドラインも公表された。「闇バイト」募集情報などが明記されているが、注意すべきは、情プラ法上、違法情報の削除義務があるわけではないという点だ。あくまでも、放置していれば刑事責任を負う場合があるとして削除を事実上促す形をとっている。
また、いわゆる偽・誤情報は削除の対象とならないようだ。例えば不正確な報道があったとしても、ガイドラインでは医薬品の虚偽広告など現行法上規制されているものが挙げられているのみで、情報が誤りというだけでは違法情報とならない。これは言論の自由とのバランスを考慮したものと言えるだろう。
期待される効果|ネット誹謗中傷への抑止力

プラットフォーム側の体制強化による抑止力
情プラ法の施行により、最も直接的な効果が期待されるのはプラットフォーム側の体制強化だ。削除申請窓口の明確化、専門員の配置、日本語対応スタッフの増強などにより、権利侵害情報への対応が格段に向上することが見込まれる。
特に、これまで対応に消極的だった海外プラットフォームにも一定の義務が課されることになり、グローバル企業と日本国内企業の対応格差が縮小することが期待される。これにより、被害者が泣き寝入りせざるを得なかったケースが減少するかもしれない。
また、削除運用状況の公表義務は、事業者間の競争を促す効果も期待できる。各社の対応状況が可視化されることで、「誹謗中傷に厳しく対応するプラットフォーム」という評価軸が生まれ、ユーザーの選択にも影響を与える可能性がある。
発信者への心理的抑止力
情プラ法の施行は、誹謗中傷を行う可能性のある発信者に対しても一定の心理的抑止力となるだろう。削除申請の迅速化により、「誹謗中傷めいたものは、書いたらすぐに消される」という認識が広まれば、書き込みへの慎重さやその労力が無駄であるという流れが起きる可能性、期待もある。
また、発信者情報開示の手続きも整備されることで、「匿名だから何を書いても大丈夫」という意識が薄れていくことも期待される。特に悪質な誹謗中傷を行った場合、民事訴訟や刑事告発につながる可能性が高まることで、抑止力として機能するだろう。
社会全体の意識改革への寄与
情プラ法の施行は、法律の変更という側面だけでなく、社会全体のネットコミュニケーションに対するさらなる意識改革にも寄与するかもしれない。ネット上の発言も現実社会と同様に責任を伴うものであり、他者の権利を侵害する行為は許されないという認識が広まることが期待される。
メディアによる報道や教育現場での啓発活動と相まって、「ネットリテラシー」の向上につながれば、法律による規制に頼らずとも健全なコミュニケーション空間が形成されていく可能性がある。
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