倦怠感ー心理的エネルギーの枯渇
常に緊張状態にあることは、相当なエネルギーを消費する。結果として、身体的な疲労感、倦怠感が慢性化する。彼らは物理的に疲れているだけでなく、心理的にも完全に疲弊する瞬間があると思われる。
睡眠障害ー夜も続く不安
夜になっても彼らの不安は消えない。明日の学校生活への恐怖、今日の出来事への反芻—— これらが睡眠を妨げ、質の悪い、断片的な睡眠パターンを生み出す。朝、疲れ果てた状態で学校に向かうことになるのだ。
これらの特徴は、決して個々に偶発的に発生する問題ではない。それは現代の教育システム、社会構造、人間関係の複雑さが生み出す、極めて現代的な苦悩の現れなのである。
苦登校の背景にあるもの
いじめの影響
現代の学校におけるいじめは、かつてないほど複雑で巧妙になっている。現実問題、SNSの普及により、物理的な空間を超えて継続する心理的・精神的暴力は、子供たちに深刻な傷を負わせている。特に近年のSNSにおいては、大人である我々でさえも、場合によっては精神が崩壊してしまうのではないかというくらいの言葉の暴力が溢れかえっている。未発達の子どもへの影響はどうだろうか?今一度議論が必要なのかもしれない。
過度な競争社会
受験競争、偏差値、成績—— これらの数値によって子供たちの価値が測られる社会システムが、彼らの自己肯定感を著しく低下させている。常に評価されることへの恐怖と不安が、苦登校を生み出す土壌となっている。
家庭環境の変化
核家族化への変化は、子供たちにとって重大な影響をもたらした。多世代交流の減少は、年長者からの知恵や生活経験の継承を困難にし、社会性や人間関係構築能力の育成に大きな影響を与えている。祖父母や親戚との日常的な接触が減少することで、子供たちは社会的スキルを学ぶ機会を失いつつある。
1990年代以降、共働き世帯が急増し、2020年には共働き世帯が専業主婦世帯を大きく上回るようになった。この変化は、子供たちの家庭生活に根本的な変革をもたらした。ただ、単純に専業主婦世帯の時代が、子どもをすくすくと育てる要因となったと結論づけるつもりはない。要は人間同士のコミュニケーションの欠如・不足、多忙極まる働き親世代の感情変化に伴い、子どもへの影響が少なからず生まれてしまっていることが本質的問題なのである。子どもの情緒的ニーズが十分に満たしているとは言えないのではないだろうか。
家庭内時間の減少
上記と密接に関わるが、親との直接的な接触時間が劇的に減少し、子供たちは学童保育や放課後サービス、塾など、家庭外の環境で過ごす時間が増加している。これにより、家庭内でのコミュニケーションや情緒的な安定性が著しく低下している。
家庭内プレッシャーと心理的影響
親の仕事のストレスが家庭内に持ち込まれやすくなっている。読者も記憶を辿ってみてほしい。子供は親のストレスを敏感に感じ取る。その感じ取ったものからどんな思考や行動へ転化されるか。子どもの内から良くも悪くもさまざまな情報が得られ便利で有益な世の中になった反面、情報の取捨選択の術を知らないまま、「正しい想像」が出来なくなっているのではないだろうか。
スマホと家族コミュニケーション
スマホの普及は、家族のコミュニケーションのあり方を根本的に変えた。家族が同じ空間にいながら、それぞれ異なる画面を見つめる「並行的孤独」が常態化している。スマホの中から湧き出た話題で盛り上がることは一見すると家族の会話として成り立つものに見えるが、それは本当のコミュニケーションのあるべき姿ではない。
また、SNSを否定するつもりは毛頭ないのだが、子供たちは、直接の対話、表情をリアルタイムで掴み取る会話の機会が明らかに減少している。幼き頃から、自己顕示欲求や承認欲求が先に、成長の中心に据えられてしまっている部分については、”古い考え”の筆者からすれば憂慮せざるを得ない。

不登校を選択できず「苦登校」を強いられる子どもたちは、現代に限らず昔も少なからず存在していたし(筆者も実際そうであった)、現代の問題として責任を押し付ける書き方とはなってしまったが、最も重要なのは、「共感」と「対話」を日常的に育むことである。現代の親世代は、経済的プレッシャーや競争社会の影響から、子供との深い対話や感情交流の時間を十分に確保できていない傾向にある。子供の内面に寄り添い、子どもの感情を出来るだけ言語化をアシストし、そして尊重する姿勢が求められるのではないだろうか。
まとめ
潜在的に存在している「苦登校」は、個々の問題ではない。それは社会の構造的な課題を鮮明に映し出す鏡である。子供たちの声にもっと真摯に耳を傾け、彼らの可能性を最大限に引き出す社会を築くことが私たち大人に課せられた使命であると思う。
一人ひとりの子供が、自分らしく、安心して学び、成長できる環境。それは決して遠い理想ではない。私たち全員の意識と行動によって、今、ここで実現できるはずである。
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