6. 実務経験ゼロの「経営陣」による的外れな指示の連発

民間企業での実務経験がほとんどない元役人が経営層に就くと、現場の実態を理解しない的外れな指示が頻発する。彼らは政策立案や行政指導の経験はあっても、実際にビジネスを動かし、顧客と向き合い、利益を生み出す苦労を知らない。
ある天下り企業では、トップが突然「業務効率化のため全社員にタブレット端末を配布する」と宣言した。しかし現場の業務内容を精査すれば、大半の職員はデスクワークが中心で、タブレットの必要性はほとんどなかった。結果、数千万円をかけて導入された端末の多くが引き出しの中で眠ることになった。
また、「民間企業らしく成果主義を導入する」と言い出し、評価制度を大幅に変更したケースもある。ところが、評価基準が曖昧で、結局は上司の主観的な判断に依存する仕組みになってしまった。現場は混乱し、モチベーションは低下し、優秀な若手職員が次々と退職するという事態を招いた。
こうした失敗の根本原因は、元役人たちが「政策を作る側」の視点しか持っていない点にある。彼らは「こうあるべきだ」という理想論は語れるが、「どうやって実現するか」という実務レベルの思考が欠如している。そして失敗しても、役所時代の習慣で責任を取ることはない。
7. 形式的な研修・セミナー・視察への無駄な出張費用
天下り企業では、実質的な効果が疑わしい研修やセミナー・視察への参加が恒例行事化している。
この中でも特に「視察」ほど無駄な行事はない。出先の事業者との顔つなぎなど、自ら何も生み出さない・責任を取らない人間が出向いたところで、この時代何の意味もない。ましてや、視察によって報告書が作成され・閲覧されたとしても、それが組織や社会に役に立つことはない。そしてこの視察の交通費や宿泊費を加えると、年間の出張で100万円近くが消えていく。
前述の通り一番問題なのは、こうした視察やセミナー等で学んだことが組織運営に活かされることがほとんどない点である。具体的な改善提案や行動計画は含まれていない。結局、現地での懇親会やご当地の美味しい食事を楽しむための口実に過ぎないのだ。
さらに、こうしたものへの参加が「重要な人脈形成の機会」として正当化される。確かに他組織の役員との交流はあるだろうが、それが本当に組織の利益につながっているのか、検証されることはない。単に同じような立場の人間同士が集まって、既得権益を守るための情報交換をしているだけではないか。
8. 時代遅れのシステムと紙文化への固執
天下り役人が持ち込む役所的な文化の中で、特に生産性を阻害するのが時代遅れのIT環境と紙への異常な執着である。デジタル化が進む現代において、未だにFAXや紙の決裁書類が主流という組織も少なくない。
ある外郭団体では、メールで送られてきた文書をわざわざ印刷し、上司に紙で回覧し、押印をもらってから、再びスキャンして電子ファイルにするという無意味なプロセスが日常化している。これに費やされる時間と労力を考えれば、いかに非効率かは明白だ。
元役人たちの多くは、電子決裁やペーパーレス化に強い抵抗を示す。「紙でなければ重要性が伝わらない」「押印がなければ正式な決裁とは言えない」といった時代錯誤な主張を繰り返す。彼らにとって、形式と手続きこそが仕事の本質であり、効率性や生産性は二の次なのである。
また、使い勝手の悪い古いシステムを延々と使い続けるケースも多い。更新には予算がかかるという理由で先送りされ、現場の職員は不便を強いられる。しかし役員室には最新のPCが配備され、ほとんど使われていないという皮肉な状況も珍しくない。
9. 天下りポスト確保のための不必要な組織拡大
天下り先を確保するため、本来不要な部署や子会社が次々と設立されるケースがある。これは組織の肥大化を招き、管理コストを増大させる典型的な無駄である。
例えば、ある公益法人では「国際交流推進室」「広報戦略室」「未来ビジョン策定室」といった部署が新設された。しかし、これらの部署が具体的に何をしているのか、外部からはまったく見えてこない。実態は、退職予定の官僚を受け入れるために作られた名ばかりの組織である。
さらに、こうした部署にも予算が配分され、当たり前にスタッフが配置される。室長には元役人が天下り、その下に数名の職員が配属される。実質的な業務がないため、彼らは「次年度の事業計画策定」といった名目で、実効性のない会議や資料作成に時間を費やす。
子会社の設立も同様である。「業務の専門性を高めるため」という建前で分社化が行われるが、真の目的は天下りポストの増設にある。親会社から業務を切り出して子会社に移管し、そこに元官僚が社長として天下る。業務内容は以前と何も変わらないが、組織だけが複雑化し、管理コストが増大する。
10. 成果も目標も曖昧な「中期経営計画」の繰り返し
天下り企業の最後の無駄として挙げられるのが、実効性のない中期経営計画の策定である。多くの組織が3年から5年の経営計画を作成するが、その内容は抽象的で具体性に欠け、達成度を測定する明確な指標もない。
計画書には「社会貢献の推進」「組織基盤の強化」「人材育成の充実」といった美辞麗句が並ぶが、それを実現するための具体的な施策や数値目標は記載されていない。そして計画期間が終了しても、達成度の検証は行われず、「概ね順調に推進できた」という総括で済まされる。
この背景にあるのは、官僚出身者特有の「計画を作ること自体が目的化する」体質である。彼らは政策立案のプロフェッショナルであり、立派な計画書を作成することには長けている。しかし、その計画を実際に執行し、成果を出すことには関心が薄い。計画書が完成した時点で、彼らの仕事は終わったと考えるのだ。
結果として、組織は数年ごとに同じような計画を繰り返し策定し、多大な時間と労力を浪費する。外部のコンサルタントに高額な報酬を支払って計画策定を支援してもらうこともあるが、完成した計画書は立派な装丁で製本され、書棚に並べられるだけである。
まとめ|構造的問題としての天下り文化
これまで見てきた10の事例は、天下り企業・外郭団体における無駄のほんの一部に過ぎない。これらの問題に共通するのは、組織が本来の目的を見失い、既得権益の維持と形式の踏襲だけが優先される構造になっている点である。
天下りという慣習は、官僚機構と企業・団体の癒着を生み、公正な競争を阻害し、社会全体の活力を奪っている。そして最も問題なのは、こうした無駄なコストを最終的に負担するのが国民であるという事実だ。税金や公共料金、各種サービスの利用料金という形で、私たちは天下りシステムを支え続けている。
この構造を変えるには、透明性の確保と厳格な監視が不可欠である。天下り企業の財務状況、役員報酬、事業内容を全面的に公開し、国民の監視下に置く必要がある。そして何よりも、「天下りは当然の権利」という官僚文化そのものを根本から見直さなければならない。
組織は本来、社会に価値を提供するために存在する。その原点に立ち返り、無駄を排除し、真に必要な活動に資源を集中させることこそが、今求められている改革の方向性である。天下り文化の闇に光を当て、一つ一つの無駄を是正していく地道な努力が、より健全な社会を作る第一歩となるだろう。
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