東海エリア第3回目となる今回は、名古屋市北区大曽根を拠点に活動されている、サックス奏者・オーノサエさんの「仕事」についてインタビューしてきました!
オーノさんは音楽大学卒業後、フランスへの留学経験を経て、現在はフリーランスとして演奏活動と、小学校での音楽指導、建設会社での仕事を平行して行なっています。
「にっぽん全国シゴトのある風景」では、フランス留学で得た気づきや、演奏活動と他の仕事を両立させるためのスケジュール管理の苦労など、大変興味深いお話を伺いました。
オーノサエ さん
■プロフィール
2016年名古屋音楽大学卒業後、同年9月に渡仏。フランスの音楽院の専門過程を修了し、サックスの音楽研究資格を取得。音楽院の高等教育課程を中退後、「フォルマシオン・ミュジカル」というフランス独自の科目の、音楽研究資格を取得。パリ市内のラーメン屋さんにて接客業に従事。2019年帰国後、本格的に演奏活動開始。音楽教室の業務委託契約を経て、現在は建設会社にてパート勤務、名古屋市内の小学校の吹奏楽部の指導員、ブライダル演奏の派遣会社にて業務委託契約、自身の主催するデュオ「Booobibibiiibibiduo」や、「サックス四重奏団本日休演」の演奏活動など、多岐に渡り活動している。
オーノサエさん Instagram:https://www.instagram.com/saeono.work/
オーノサエさん 𝕏:https://twitter.com/sae_ono
インタビュー当日は、名古屋市大曽根の「KAZU COFFEE」で開催されたオーノさん主催のサックスデュオ「Booobibibiiibibiduo」の音楽会終了後。ファンのお客さん達がたくさん訪れていました。
サックスに出会い、音楽の道を目指すまで
――音楽を始めたきっかけは何だったのでしょうか?
母が高校生の頃に吹奏楽部に入りたかったそうなんですが、自分は楽譜が読めないからという理由で音楽をやれなかったんですね。それで、自分の子供には音楽を習わせようと言うことで、最初はヤマハのエレクトーンから始めました。保育園入る前ぐらいだったと思います。
――エレクトーンからサックスに転向したのはいつ頃ですか?
エレクトーンって電子楽器なので、次第に生楽器を演奏したくなってきて、小学生の頃に金管バンドに入りました。アルトホルンを1年、ユーフォニアムを2年吹いていました。また、習い事として音楽をやるなら金管バンドにない楽器をやりたいと思って、色々な楽器の体験レッスンに連れていってもらって、一番面白かったのがサックスでした。良い先生に巡り合えたんです。
――本格的に音楽の道を目指そうと思ったのは、どのタイミングだったのでしょうか?
中学生になる頃には、音楽の道に行こうと決めてました。それで音楽高校、音楽大学に進みました。フランスに留学したいと思ったのは、ちょうど高校生の頃。後に習うことになるフランス人の先生が来日されていて、レッスンを受けた時に表現方法や教え方が面白かったので、これはフランスに行くしかないと思いました。
――音楽大学卒業後、フランスでの留学生活はどうでしたか?
とても良い経験でした。ただ、フランス語を日本にいる時から勉強してはいたんですが、全然足りなかったですね。フランス語の資格を取ってから行くべきだったなって今では思います。でも、暮らしていくうちに段々しゃべれるようになりました。フランスでサックスを学んで思ったのは、特にジャズとクラシックの関係性が日本とは違う点です。日本だとジャズの人はジャズ、クラシックの人はクラシックしか演奏しないと、分けて考える人が結構多いんですね。それで対立しがちと言うか……。でもフランスでは、まずクラシックの先生に習って、その上でジャズの先生にも学ぶ。だからバランスが良くて、対立も生まれないし、ジャズもクラシックも演奏できてアーティストとして最強ですよね(笑)。どちらも音楽であることに変わりないですから。
留学生活の中で起きた心境の変化と転機
――そのままフランスに住もうとは思いませんでしたか?
そのまま住みたかったです!でも、ここで問題が。パリは音楽の街なので、演奏家の募集は結構あります。その場合、オーケストラや警察音楽隊などの演奏団体に所属することになるのですが、サックス自体そもそもの枠が少ないんです。世界中のサックス奏者がパリに集まってくるので、そんな猛者たちを相手に枠を勝ち取らねばなりません。とても狭き門なんです。さらにフランス国籍でないと入れないと言う……。
――ここで国籍の問題が!
頑張って職を探せば、音楽を教える仕事はあったのですが、当時教える仕事はやりたくなくて。演奏者として活動していきたかったんです。人に教えるって責任重大じゃないですか?もし、間違ったことをもし教えてしまったら、と考えたら怖かったので。
――フランスで音楽の職は見つかったのでしょうか?
結局音楽の仕事はせずに、しばらくは日本人の料理長がいるラーメン屋さんのホールで働いていました。でも、その仕事がすごく楽しくて。それまで、高校からずっと大学まで音楽だけやって来て、音楽の関係の人としか交流をしてきませんでした。なので、音楽をまったく知らない料理長さんに音楽の話をすると、めちゃくちゃ喜んでくれるのが新鮮で嬉しかったですね。
――これまでやってきた事と全然違うことをしたことで、何か気づきがあったのでしょうか?
はい。ラーメン屋さんで働いたことが、今の自分の演奏活動の原点になっていると思います。今まで勉強してきた専門的な音楽を、もともと好きな人のために演奏するのではなくて、サックスを知らない人や音楽自体に馴染みがない人に届けたい、音楽と人との接点になりたいと考えています。
――帰国のきっかけはなんだったのでしょう?
フランスでの勉強を続けるべきか迷っていた時に、日本のサックスの師匠と一緒に、門下生の後輩・先輩達がみんなでフランスに来てくれました。飛行機が苦手で絶対に乗りたくないと言っていた先輩も、長時間のフライトにチャレンジして一緒に来てくれて。実を言うとフランスの授業で、ジャズのセッションは楽しかったのですが、それ以外の演奏を義務感でやっている感じが好きじゃなかった。みんなそれぞれコンクールを控えていたりするので、仕方ないとは思うのですが。そんな時に昔の仲間達が来てくれて、そこまでしてくれる人達が日本にいるのに、私はフランスで何やってるんだろうって思うようになり、帰国しました。
帰国後、自ら仲間を募って演奏活動を開始
――現在はご自身でデュオとカルテットを主催されていますね?
はい。デュオ(Booobibibiiibibiduo)は、フランスに行く前から、先輩と組んでいたのでそのまま継続していて、カルテット(本日休演)は帰国してからです。サックスって4人組(カルテット)で演奏することがほとんどで、カルテット用の楽譜もたくさん世に出回っています。やりやすいので、言ってしまえば難易度が低いんです。そのためデュオは、サックス2本だけという制限がある中で、どれだけ表現できるかという実験的かつチャレンジングな取り組みでもあります。自分で主催しようと思ったのは、クラシックをやってきた人でジャズ寄りの曲ができる人はあんまりいなかったりするので、さっきお話したように対立が生まれたりすることも。なので、誰かに誘ってもらうのを待っているより、自分が信頼できる人達を集めてきて、その人達と時間をかけて良いものを創っていきたいと思ったからです。
――大曽根を拠点に活動するようになったきっかけはなんですか?
もともとつながりのあった「KAZU COFFEE」さんが、「矢田祭」(大曽根エリアで毎年開催されているお祭り)で、ステージイベントの募集をしているから、演奏の機会を探しているんだったら応募してみたら?と話を持ちかけてくれて。そこで2023年矢田祭で「本日休演」デビューを果たしました。
――今、お仕事内容はどんなものがありますか?
現在音楽関連の仕事はデュオとカルテットの他に、「サクソフォン・アンサンブル・プチフォレ」という団体に参加しているのと、ブライダルでの演奏、あとは小学校の吹奏楽部で教える仕事、建設会社にパートタイムで勤めています。実は帰国してから一度、“音楽家のオーノサエ”を辞めて、“建設会社で働いている大野さん”だって思おうとした時期があったんです。つまり、音楽を辞めてしまおうと。そんな時、いつだって私のことを音楽家扱いしてくる同じく音楽を仕事にしている人が側にいて、辞めるの辞めました。そこで色々な音楽の仕事を探し始めて、責任重大だと思ってやってこなかった教える仕事も、そのタイミングで見つけました。小学校では大野先生が怖いって言われることもあって、スパルタかもしれません(笑)。
――教える仕事において心掛けていることはありますか?
下手だから「プロの人を前に聞かせられない」みたいに思う人は結構いるし、子供でも下手だから練習したくないみたいな子もいるんですよ。全然吹けないから音を出すのが恥ずかしいとか。でも、上手いことがすべてじゃない。例えば、みんなで合奏していて、ずれてしまった子に対して笑う人はもうビンタ!いや、ビンタはしないですけど(笑)、そういうことを言う子に対しては叱りますね。「BLUE GIANT」(※ジャズを題材にした漫画・アニメ)で主人公が、「誰でも最初は下手なとこから始めている」みたいなセリフを言うんです。そういう風に、自分にできることに誇りを持ってほしいっていうのは常に思っています。それですかね、1番大事にしていることは。
――色々な仕事をしているとスケジュール管理が大変そうですね。
そうですね。建設会社は時短で働かせてもらっているのですが、それでも時間が足りない。何よりも練習時間の確保が大変です。学生時代は練習できるスペースもあって、時間もありましたが……。今は他の仕事をしつつ、家には防音室がないのでカラオケにこもって練習したりしています。
――仕事のやりがいについてお聞かせください。
学生時代が長かったので、金銭面やその他いろんな事情で音楽を続けられなかった子たちと比べて、自分は大したこともないくせに、社会に必要とされていないのに、ずっと音楽を続けていいのだろうかとネガティブに考えていたことがありました。でも、自分が続けてきた演奏活動がお客さんに喜んでもらえて、さらに対価としてお金をもらえた時、社会から必要とされていると実感できたことが、やっていてよかったことでしょうか。あと、演奏会の会場となるお店の方が、常連のお客さんやSNSで演奏会の告知をして頂いたりなど、周りの人に助けられていることも多くて、本当に助けられています。
――今後の目標を教えてください。
音楽を続けていくことが、もう一生の目標かなと思っています。続けているうちは負けじゃないなと。あとは、誠実に本番に取り組めるように練習時間を十分に確保できるよう、働き方を変えていきたいですね。
ラーメンズの小林賢太郎が好きで、彼は“自分の美学を作っていく”ということを頑張っているんですけど、私もそうででありたいと考えています。表現に対して誠実でありたいし、サックス2本だけで臨むデュオでの演奏も私の美学のひとつかもしれません。
――今後アーティストを目指す方、もしくは転職がフリーランス転向したい方へのアドバイスお願いいたします。
どうかそのままあきらめずに続けてください。続けるのみ!
――ありがとうございました!
まさに“継続は力なり”を地でいくような、オーノさんのインタビューでした。苦労話もありましたが、音楽に対する熱い想いがお話の端々から伝わってきました。ぜひオーノさんの演奏会に足を運んでみてくださいね!
フクザワマキコ
動物と美味しいものとお酒をこよなく愛すライター。編集プロダクション、某コーヒーチェーン店のストアマネージャーを経てフリーランスに。Yahooニュース記事をはじめ、地域ニュース、キャッチコピー、プレスリリース記事、コラムのライティング等、様々なフィールドで執筆活動を展開中。